歴史が息づく七里の渡し。
七里の渡跡の特徴
東海道五十三次における唯一の海路、七里の渡し跡です。
桑名宿と宮宿を結ぶ歴史的重要な渡船場の跡でもあります。
周辺には九華公園や蛤料理専門店が点在しており、散策に最適です。
七里の渡跡、九華公園、柿安コミュニティパークこの辺りは見所一杯です、駐車場は有料です。
東海道沿い高級料理旅館「船津屋」さんに近接。綺麗に維持・管理されています。熱田から桑名まで海路七里(約27.5km)あったことから「七里の渡し」と呼ばれています。東海道五十三次の42番目の宿場町として大変にぎわいを見せたそうです。ここに建立されている大鳥居はここから伊勢路に入ることから「伊勢の国一の鳥居」と称されています。ほかに常夜燈(二基)も建立されています。
桑名城跡から徒歩圏内です。東海道の42番目の宿場である桑名と41番目を結ぶ唯一の海路。その渡船の跡が、地域の交通の要所として機能していました。大きな鳥居が目印ですよ。
旧東海道のうち宮から桑名までの間にある「七里の渡し」の桑名側。桑名市街の揖斐川に面した場所で、付近には桑名城址がある。宮側と違いこじんまりとした印象をうける。敷地内には第一の鳥居と言う大きな鳥居があり、この場所が旧東海道における伊勢の国の入口だと知る事が出来る。
熱田神宮から、ここまでは船で渡ったという東海道唯一の海路の渡し跡。近代化以降の新しい堤防で、当時の雰囲気は味わえないものの、東国から来た旅人がここの鳥居をくぐって伊勢国に入るので一の鳥居と呼ばれていることを思うと、感慨深い場所ではないかと思います。なお、この鳥居は伊勢神宮の20年ごとの式年遷宮で使用された用材で建てられているとのこと。
東海道五十三次の船旅であった七里の渡し(宮宿(名古屋市熱田区)と桑名宿(桑名市)を往復する航路だったようです)の渡船場跡です。ここの大鳥居は「伊勢国一の鳥居」と呼ばれ、伊勢神宮の遷宮の際に使用された木材が再利用された貴重な鳥居のようですよ。ここから、お伊勢参りが始まったのでしょうね。
熱田神宮の南側にある宮の渡し(七里の渡し跡)からこの桑名の渡しまで七里(約28km)あったことから七里の渡しと呼ばれています。当時は熱田より西は河川と入江に阻まれ陸路の往来が難しかったので江戸期以降この渡しが整備されたんだと思います。元旦の熱田神宮を参拝したあと、せっかく熱田神宮の七里の渡しを見学したので思い立って桑名の七里の渡しまでバイクで来てみました。熱田神宮→R247→R23→桑名七里の渡し→R1→熱田神宮現在の陸路でもまあまあ距離があり海路を想像しながら走りました。桑名側の七里の渡しは風情があり、当時の賑わっていたころの名残があるはまぐりの名店や居酒屋のある通りを抜けた先に、大鳥居と渡しの石碑がひっそりと在りました。車の方は石碑付近には駐車場は無いので、桑名城址付近の駐車場に停め、芝生の広場を抜けて来られることをおススメします。
東海道の要所で会った七里の渡し跡、伊勢神宮の一の鳥居があるなど、歴史的価値がある場所ですが、その遺構は、少し寂しいように思います。もっと資料展示や説明掲示をして、積極的に売り出しても良いのではないでしょうか。
旧東海道唯一の海路が熱田の宮宿からここ桑名宿まで七里(27.5km)に渡ってあった。鳥居は伊勢神宮の一の鳥居で伊勢國の玄関口である。七里の渡しは4時間から6時間の航海であったらしい。きっと鳥居が見えた瞬間安堵したことだろう。
| 名前 |
七里の渡跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.kuwana.lg.jp/kanko/miru/kankospot/kanko009.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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七里の渡しの桑名側の跡地。鳥居はあるけど、特別な建物などがあるわけではありません。近くに駐車場と観光案内所があるので、そこに車を停めて歩いてすぐの場所です。