勝倉小学校近くの隠れ家。
流行神の祠の特徴
勝倉小学校の進入道が目の前にあり、アクセスが便利です。
歴史を感じる独特の雰囲気を持つ神社で心安らぐ時間が過ごせます。
地元の人々に愛される信仰の場として親しまれています。
県道の向こう側には,勝倉小学校への進入道。こちら側は陸上自衛隊の敷地のフェンスが続くが,なぜかちょっとだけフェンスが凹んだ,県道脇の一角(雑草とタンポポが咲き誇っていました)に,小祠があります。元々は,勝倉小学校正門前にあって,そこから石棺と骨壺見つかり,霊験あらたかという評判となって流行神として参詣人多く,この小祠が建てられたそうですが,日立工機・自衛隊の建設のため,現在地へ移されたそうです。また,小祠のすぐ隣にお地蔵様がありますが,こちらは平安時代(1141年)に陰西上人が武田溜(一本松溜とも呼ばれた)のほとりに建てた照道寺に,インドから持ち帰った松の実を蒔いたところ,後に見事な一本松となり,傍らに上人が描いた仏画を元に地蔵菩薩を建立したそうですが,これもまた,この地に移されたとのことです。松の葉は、普通は2~5本の束状ですが,不思議にこの松の葉は1本のみと不思議だったことから「勝倉の一本松」として知られました。しかし,明治30(1898)年8月28日午後3時過ぎに,突然大音響と共に倒壊し,樹齢757年,稀代の銘木の生涯は閉じてしまったとのことです。さて,徳川光圀の寺院整理政策によって照道寺は廃寺となり,今となっては,武田溜のあたりの地図(今は自衛隊敷地で入ることは出来ません)を見ながら,照道寺はどのあたりにあったのか,一本松は?時を遡って戦国時代はその辺りが武田館の本丸だったのかな?などといろいろ考えつつ...
名前 |
流行神の祠 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.0 |
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県道の向こう側には,勝倉小学校への進入道。こちら側は陸上自衛隊の敷地のフェンスが続くが,なぜかちょっとだけフェンスが凹んだ,県道脇の一角(雑草とタンポポが咲き誇っていました)に,小祠があります。元々は,勝倉小学校正門前にあって,そこから石棺と骨壺見つかり,霊験あらたかという評判となって流行神として参詣人多く,この小祠が建てられたそうですが,日立工機・自衛隊の建設のため,現在地へ移されたそうです。また,小祠のすぐ隣にお地蔵様がありますが,こちらは平安時代(1141年)に陰西上人が武田溜(一本松溜とも呼ばれた)のほとりに建てた照道寺に,インドから持ち帰った松の実を蒔いたところ,後に見事な一本松となり,傍らに上人が描いた仏画を元に地蔵菩薩を建立したそうですが,これもまた,この地に移されたとのことです。松の葉は、普通は2~5本の束状ですが,不思議にこの松の葉は1本のみと不思議だったことから「勝倉の一本松」として知られました。しかし,明治30(1898)年8月28日午後3時過ぎに,突然大音響と共に倒壊し,樹齢757年,稀代の銘木の生涯は閉じてしまったとのことです。さて,徳川光圀の寺院整理政策によって照道寺は廃寺となり,今となっては,武田溜のあたりの地図(今は自衛隊敷地で入ることは出来ません)を見ながら,照道寺はどのあたりにあったのか,一本松は?時を遡って戦国時代はその辺りが武田館の本丸だったのかな?などといろいろ考えつつ...