星宮神社の古風な獅子頭。
名前 |
星宮神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=75552 |
評価 |
3.7 |
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吹上星宮神社主祭神 経津主命配祀神 磐裂神 根裂神 道祖神境内社 八坂神社 稲荷神社(晞徳神)由緒「下野神社沿革誌」による記載下都賀郡吹上村大字宮鎭座 村社 星宮神社 祭神 天津彦火々瓊々杵命本社創立は元文五年(1740)九月にして寳物には古風の獅子頭三個あり社域五百三十八坪の中央に本社拜殿嚴然として結構宏壯を極め最も本社は明治三十九年(1906)九月十六日改造の工を起し十月八日に竣工せしは氏子惣代増茂周藏金子東五郎小林依松坂巻喜代藏外六十余名の盡力より成れるもの實に成功の速かなること驚くの外なからん境内には老杉古檜矗立し翠色滴る如く衣を染めんとするの韻致あり(明治三十六年(1903)「下野神社沿革誌」参照)「境内碑」の記載本社星宮神社は櫻町天皇元文元年(1736)の創立にして經津主尊を祀る。尊は天祖を輔翼し皇業の創設に壮烈の功績ありしは古典の傳ふるところにして其神霊赫々として咸威徳を仰がざるなし。昔時は社領幾多の土地を有せしか曩に社寺上地を令せらるるに際し現境内を存するの外悉く除籍せらん財産大に減少を來せり。然りと雖も氏子等敬神の念益厚く、私財を醵集して社殿を修理し又は社務所を設置し若しくは華表を建立する等恭虔克く努め祭祀常に怠ることなし。明治三十九年(1906)勅令第九十六號を以て神社神饌幣帛料供進の制を定めらるるや、本社は財産少く且つ無格社にして規定に適合せざるを以て其指定に興る能はざりしは遺憾とするところなり。是に於て吹上村長金子東五郎・第六區長柴徳多郎・氏子惣代植竹忠次郎・酒巻喜代造・増茂喜久蔵・柴眞一郎・小林依吉の諸氏發起し、氏子の贊助を得熱心基本財産の造設に盡力し、道祖神を本社に合併し其跡地の譲與を得、又大字宮地内國有土地二町四畝十四歩の貸付を受け氏子をして開墾せしめ、數月ならずして荒蕪の地は化して肥沃の桑園となり其成功に依り之か拂下を得、今や基本財産として境内の土地其他を併せ實に二町五段九畝七歩に達し、本社の木曽確立せるを以て之の昇格を本縣に申請せしに明治四十四年(1911)一月村社に列せられ且つ神饌幣帛料供進を指定せらるるに至る。是れ固より神霊尊厳の致すところなりと雖も亦村長他一同の夙夕奔走の切なるに依るものと謂つへし。夫れ敬神の道は我國不磨の美事たり。就中本社の如き一郷靄然氏子相和し崇敬の深厚なる地方卓絶の美擧にして其至誠の存するところ、神霊降鍳愈加護を垂れ福祉を増進せらるべし。茲に碑を建て昇格の概要を叙して記念となす(境内碑「昇格記念碑」参照)下野神社沿革誌では御祭神が天津彦火々瓊々杵命となっていますが、境内碑では経津主命・道祖神となっています。本殿の両側面胴羽目には、柔らかで美しい彫刻が施されています。境内東側の、神楽殿の後方に、鳥居と参道が独立した晞徳神祠があります。