歴史を感じる金丸神社の楼門。
那須神社(金丸八幡宮)の特徴
まっすぐな参道を進むと、重要文化財に指定された本殿と楼門があります。
那須与一が誓いを立てた歴史的な神社で、松尾芭蕉も訪れたと伝わります。
現在、2023年から10年間の大改修が予定されており、訪問のきっかけになります。
国指定重要文化財です。道の駅から徒歩でもすぐです。サギの集団繁殖地になっていて鳴き声がすごいです。
雨が降っていて足元が悪く危なそうだったので奥まで行くことが出来ませんでしたが歴史ある神社のようでした。神社の改修をしたいけれど資金が足りないのでご協力をという看板が立ててありました。
2025.5那須神社(金丸八幡宮・余瀬八幡宮)拝殿など全体的に老朽化が目立ちますが、現在、令和の大改修を予定されているようなので数年後には綺麗になるかも知れません。坂上田村麻呂が勧進していたり、那須与一が戦勝祈願したりと歴史上の有名な武将にもゆかりのある神社です。【御祭神】応神天皇【由緒】仁徳天皇(313〜399)の時代に下野国造(しもつけくにのみやつこ)の奈良別命(ならわけのみこと)が祠を建立したことに始まると伝わる。その後、坂上田村麻呂が宇佐八幡宮の御霊を勧請して八幡宮に改められた。その後、源平内乱に際して那須与一が戦勝を祈願し、文治3年(1187年)には社殿が造営され、那須氏累代の氏神となった。さらに戦国時代以降は黒羽城主大関氏の代々の氏神として信仰された。明治6年(1873年)に現在の那須神社に改称している。
道の駅のすぐ裏にある神社です。御朱印が充実していました。立派な建物でしたが、老朽化がひどく修復の寄付を募っていました。細身の綺麗なとんぼがたくさん飛んでいました。
栃木県大田原市にある国指定重要文化財、国指定名勝の那須神社。その始まりは4世紀、仁徳天皇の時代と言われており、源平合戦において屋島の戦いで扇の的を射落とした那須与一が戦勝祈願を行った由緒ある古社です。樹齢450年と言われる杉並木に囲まれ奥行きと静謐さを感じる参道、壮大で立派な重要文化財の楼門、そして歴史を感じさせる拝殿。拝殿の裏手には仁徳天皇の時代に下野国造(しもつけくにのみやつこ)の奈良別命(ならわけのみこと)が下野国の鎮護のために金瓊(きんけい)を埋めて塚を築いたものと伝わる金丸塚があります。古墳時代に始まり那須氏・大関氏と連綿と受け継がれてきた歴史の浪漫を感じられる参拝でした。隣接には那須与一の故郷であることから「那須与一の郷」と名付けられた道の駅があり、地域の銘菓名産や那須与一の伝承を学べる施設があります。
楼門が立派な神社です。本殿は痛みが激しい様で現在絶賛御奉賛金募集の様で微力ながら御朱印、御賽銭で協力させていただきました。御朱印は複数あるようですが参拝した日は社務所は無人で裏手の宮司宅でいただけると貼り紙で案内、無事にスタンダードな御朱印を直書きでいただきました。
まっすぐな参道を、1の鳥居、2の鳥居と進むと楼門が有りその先に大社造りの本殿が有りました。元々は立派な神社だと思われますが、少し寂れて淋しい気もします。道の駅ばっかりに力を入れず、大田原市の観光課にもう少し神社に力を入れてほしい気がしました。
道の駅おおたわらの隣に鎮座されております。平らであまり長くない、でもきれいで趣のある参道を進むと派手な門があり奥には歴史を感じる本殿があります。時間が遅かったので社務所が閉まってました。再チャレンジです。
重要文化財に指定されている江戸初期の本殿と色彩も艶やかな楼門があり狛犬も立派です。参道の杉並木もまるで森の様に鬱蒼としていて神聖な感じがします。
| 名前 |
那須神社(金丸八幡宮) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
090-3223-1183 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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道の駅の裏手にある金丸神社を訪れました。参道と境内は高い木に囲まれ、少しだけ暑さを凌げました。境内では、子供の頃によく見た神様トンボ(ハグロトンボ)がひらひらと舞っていて、懐かしい夏を思い出させてくれました。側に水田が広がる環境がハグロトンボには良いのでしょう。境内や社は補修が必要な部分が多いと思いました。