二宮駅で平和を願う、ガラスのうさぎ像。
ガラスのうさぎ像の特徴
昭和56年に建立された、戦時中のテーマを持つ銅像です。
作品の由来は著者の実父が作ったガラス製のうさぎにあります。
JR二宮駅南口前に位置する、平和を願う人々の浄財による像です。
作品タイトルの「ガラスのうさぎ」は、戦争体験記を書いた著者の父親が作ったもので、東京は両国の空襲で焼けた自宅跡から見つかったガラス製のうさぎの置物から由来する。曰く、ガラスはもろいけど、とても強い。平和も、ガラスのようにもろいかもしれないけど、それを守るのも人の意志。平和への強い意志を、決して忘れてほしくはないのですと語っているように、この彫像はしっかりとガラスのうさぎを抱えている。東京の空襲で母と妹は行方不明になり、父は娘である幼き著者を連れて新潟に疎開しようと向かう途中の二宮駅で空射のため絶命した。自費出版で行った著作が商業出版になりベストセラーになって、ゆかりある二宮駅近隣の人も声をあげたのだろう、それがこの像のできるまでの流れであると記載されている。
『ガラスのうさぎ』の発端部の舞台がこちらと初めて知った。原作も映画も、あまりに悲しそうで読んだり見たりしていないのだが。
昭和20年8月5日、ここJR二宮駅(当時国鉄)周辺において艦載機P51の機銃掃射を受け、幾人かの尊い生命がその犠牲となり、この時、目の前で父を失った12歳の少女が、その悲しみを乗り越え、けなげに生き抜く姿を描いた戦争体験記が「ガラスのうさぎ」。作者は圓鍔勝三によるブロンズおよびガラス製で、1981年(昭和56年)に制作され、この銅像は二宮郵便局の風景印の図案に採用されている。
小学生の頃に本で読みましたがこの街にゆかりの話だったか覚えてませんでしたね。説明書きがありましたが車道に立たないと読めない…
JR東海道線二宮駅北口ロータリーに建立された像です。太平洋戦争末期に、この地で空襲により父親を亡くした後に一人で生き抜いた少女像と父親の形見のうさぎ像だそうです。
二宮駅南口前にあるガラスのうさぎ像。1981年に制作されたもので、空襲でゆがんだガラスのうさぎを抱えている敏子の銅像。この二宮の地に像があるのは、東京大空襲を受けて疎開途中に敏子の父が機銃掃射に遭い、敏子の目の前で命を落としたから。ちなみに、ガラスのうさぎは1977年に児童文学作家の高木敏子さんが自費出版した「私の戦争体験」が編集者の目にとまり、子供向けに書いたもの。ガラスのうさぎは、1979年に映画化、1980年にNHK総合でドラマ化、2005年にアニメ化されています。ドラマ化の後にこの像がつくられたんですね。
戦時中の話をモチーフにした銅像です。
昔映画になったが、自分は見たことがありませんでした。
小学校の時に映画をみました。
| 名前 |
ガラスのうさぎ像 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0463-71-3315 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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二宮駅前。終戦間際の1945年8月5日、二宮駅前でアメリカ軍機P51による機銃掃射が行われ、多くの犠牲者が出ました。その時に目の前で父を失った少女がその悲しみを乗り換えて生き抜く姿を描いた高木敏子さんの児童文学『ガラスのうさぎ』はロングセラーとなり、映画・ドラマ・アニメ化もされて、今もなお、多くの人たちに戦争の悲しみや苦しみを伝え、平和の尊さを訴えています。この像は1981年に彫刻家の圓鍔勝三氏によって製作されたものです。