源頼朝の歴史を感じる法華堂跡。
法華堂跡(源頼朝墓)の特徴
源頼朝のお墓から徒歩15分、歴史ある場所に位置しているよ。
北条義時の墓所として名高く、柱の跡が遺されている。
小道の奥にある法華堂跡、住宅街の静けさが魅力だね。
今は形が無い法華堂は、頼朝が自身の持仏堂として1192年に建立したとされています。持仏堂とは、個人が信仰する仏像を安置するお堂のことで、頼朝は、この法華堂で日々の信仰に励んでいたそうです。1199年、源頼朝は落馬が原因で急逝しました。享年53歳。彼の遺体は、生前に深く帰依していた阿弥陀如来を安置していたこの法華堂に埋葬されたようです。
3/25/2025そもそもここに頼朝の霊廟「法華堂」があり、江戸期に頼朝を島津家の祖とする島津重豪(しげひで)が整備した。石碑にせよ階段にせよ江戸期に造られたもので、創建当時のものは何も残っていない。頼朝の法華堂では1247年の宝治合戦で北条に追い詰められた三浦泰村以下276人の三浦一族が集団自決し(天井裏に隠れた1人がその状況を記録に残した)、その三浦一族を供養する「やぐら」(横穴式墳墓)が100メートルほど離れた北条義時の法華堂の近くにある。訪れる人はほとんどいないが、日本を日本たらしめた封建制を創始した天才政治家、頼朝とその「英雄時代」をしのぶことができる。
明治維新の廃仏毀釈まで法華堂が有ったと言われています。明治になってから法華堂に代わりに白旗神社が建立されたと認識しています。廃仏毀釈では鶴岡八幡宮の仏教系の建物が廃され、名称も「八幡宮寺」からも「寺」が廃されたとNHKの歴史番組で見た記憶が有ります。入口に明治維新を推し進めた薩摩藩による石碑が有ります。何か複雑な気分を感じました😑。頼朝公の正室、北条政子さんのお墓は鎌倉の町の反対側、安養院に有ります。並んでいません。けっこう離れています。言わば別居状態です。政子さんの意志なのでしょうか? この事にも複雑な気分を感じました😞。よりとも児童遊園の「頼朝こぼれ話」の解説の通り、石階段は53段でした。これにはスッキリした気分になりました😄。
鎌倉市西御門にある源頼朝のお墓。鎌倉幕府を開き武家政権の礎を築いた征夷大将軍源頼朝を祀る法華堂が現在石塔のあるこの場所にあったと云われ宝治合戦では三浦一族がこの場所で自刃しました。後に法華堂は新たに建て直されましたが明治になると廃仏毀釈により取り壊されました。法華堂があった場所に新たに建てられたのが現在の白旗神社です。現在のお墓である石塔は江戸時代に薩摩藩主島津重豪が建てたものです。これは島津家初代忠久が頼朝の落胤だという伝承を信じていたからだと云われています。お墓ですが鳥居と手水があり他のお墓とは雰囲気が違います。先人に敬意を払いお線香をあげ手を合わせてきました。
北条義時の墓所として用いられていた場所の跡。建物自体はありませんが、鎌倉時代に思いをはせることのできる雰囲気です。
源頼朝のお墓から徒歩で15分くらいの場所に在ります。かいだんがかなりきついです。島津忠久のお墓は2人とは階段が別になっているので疲れます。体力に自信のない方にはお勧めしません。鹿児島出身の方は1度、足を伸ばしてはいかがですか。
鎌倉幕府創設者である頼朝の墓としては保存もされないままとりあえずのものです。家康の東照宮とは比べられるものではありません。
源頼朝墓の隣にありました。北条義時が建てた場所で静か所なのですが北条義時の墓が何処にあるのかわかりませんでした。
頼朝と義時の墓があったとされている場所で、柱の跡らしきものが遺っています。2人は仲が良かったんだなぁ❗とか、頼朝は本当に馬から落ちて死んだのか⁉️とか…色々な想像が膨らみ場所です🤔
| 名前 |
法華堂跡(源頼朝墓) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0467-61-3857 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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鎌倉の街を歩いていると、どこかで必ず耳にする名前のひとつが「源頼朝」です。私は日本の歴史を本やドラマで少し知っている程度でしたが、やはり鎌倉を訪れるとその始まりを作った将軍の存在を感じずにはいられません。そんな頼朝の墓があると聞いて、由比ヶ浜から鶴岡八幡宮の方へ歩いていった時に立ち寄りました。大きな神社や観光名所のように賑やかな場所ではなく、むしろ静かな住宅街の中にひっそりと佇んでいるので、最初は「本当にここで合っているの?」と少し迷いながら歩いていました。でも鳥居を見つけて階段を上がっていくと、確かにそこには「源頼朝公墓」と書かれた石碑があり、整えられた一角にお墓が祀られていました。石段を登る途中から空気がすっと変わり、境内は驚くほど静か。観光地の喧騒から少し離れただけで、こんなに落ち着いた雰囲気になるのが鎌倉の面白いところだと思います。お墓の前には花が供えられていて、訪れる人が絶えないことがわかりますが、混雑はなく、しっかりと手を合わせられる空間でした。日本の人々にとって鎌倉幕府を開いた人物はやはり特別な存在なのだろうと感じ、外国から来た私でも自然に背筋が伸びました。お墓の周辺には白旗神社があり、こちらも静かで趣があります。境内には石碑や石塔が点在していて、案内板を読むと頼朝だけでなく、北条政子や実朝にまつわる史跡もこの近くに多く残っていることが分かりました。鎌倉の街そのものがまるで歴史の博物館のようで、ただ歩いているだけで鎌倉時代の物語が浮かんでくるような気がします。頼朝の墓自体は華やかではなく、本当に質素なものです。最初は「将軍のお墓がこんなに控えめなんだ」と意外でしたが、逆にその簡素さが彼の時代の厳しさや、日本の歴史の無常さを伝えているように思えました。苔むした石や古い階段に年月の重みを感じ、観光というよりは静かに歴史と向き合う時間になりました。周りに外国人観光客の姿はほとんどなく、地元の方や歴史好きな人が静かにお参りしている雰囲気で、とても落ち着けました。アクセスについては、鶴岡八幡宮から歩いて10分ほどで着くので、散策ルートに組み込みやすいです。ただ入り口が少しわかりにくく、私も最初はスマートフォンの地図を見ながら迷いました。周辺は住宅街なので、静かに歩きながら探すと良いと思います。賑やかな鎌倉駅周辺や小町通りの人混みに疲れた後に立ち寄ると、心がすっと落ち着きました。ここを訪れて思ったのは、日本の歴史の人物たちがとても身近に感じられるということ。頼朝の名は教科書や資料の中だけの存在だったのに、こうして実際に彼の眠る場所に立ち、祈りを捧げると、その人生や時代を想像してしまいます。勝利の将軍として知られる一方で、厳しい決断や冷徹さを伴った人物だったことも語られていますが、そのすべてを含めて歴史の重みがここにはありました。鎌倉に来ると多くの人が鶴岡八幡宮や長谷寺、大仏といった観光名所を訪れますが、もし少し時間があるなら、ぜひ頼朝の墓にも立ち寄ってみてほしいです。豪華さはありませんが、その静けさと簡素さが逆に強い印象を残します。日本に住んでからいろいろな場所を巡りましたが、ここは「観光」ではなく「歴史と出会う」体験ができる貴重な場所だと感じました。鎌倉の旅をより深く味わうための隠れた一歩として、とてもおすすめです。