桜と歴史が共演する茶臼山。
山川招魂社の特徴
桜が美しい境内で、ゆっくりと流れる時間を楽しめます。
靖国神社と並ぶ地元の歴史的な足跡遺跡が魅力です。
きれいに整備された神社で、落ち着いた雰囲気を感じられます。
西の防人筑後久留米の勝ちガラス🐥キュウタロー久留米銀輪偵察🚵♀高良山の麓御井町の茶臼山に鎮座する山川招魂社に参拝す。幕末の勤王の志士真木和泉守や高山彦九郎をはじめ、佐賀の乱西南戦争の戦死軍人警官、それ以後の戦役における郷土出身戦死軍人の英霊の御霊をお祭りする神社で、陸軍墓地もあります。ご先祖様に感謝し国防の誓いを新たにしました。境内には爆弾三勇士の碑、第五十六輜重兵聯隊、第五十六工兵聯隊の慰霊碑もあり、世界最強久留米師団の英霊に参拝しました。久留米の強兵の碑文は涙なくして読むことはできませんでした!
誰もいませんでしたが、桜が綺麗でゆっくり眺めていられました。
きれいにされていました。
靖国神社❗と並ぶ‼️地元の歴史の、足跡遺跡🎵
| 名前 |
山川招魂社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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我々良○中生にとっては裏山になります。しかしその歴史は素晴らしいものでした。以下引用させて頂きました。山川招魂社山川招魂社は、福岡県久留米市山川町茶臼山にある官祭招魂社。高良大社山麓にある。山川官修墳墓と久留米陸軍墓地が併設されていたが、陸軍墓地は移転。御楯神社。茶臼山招魂社。籏崎招魂社。山川護国神社。南筑頌徳神社。指定外護国神社。歴史1869年(明治2年)1月29日:久留米藩主有馬頼咸、招魂所の開設を命じる。1869年(明治2年)2月1日:造営開始。1869年(明治2年)2月29日:招魂所(現在の山川官修墳墓か)、造営がなり、最初の招魂祭を執行。真木保臣ら殉難志士40柱を祀る。2柱は墳墓なし。1873年(明治6年)8月:三潴県大参事水原久雄、殉難志士と高山彦九郎を祀る御楯神社を創建。社殿を持つ招魂社としてはこの時が始まりとみられる。『靖国神社誌』にも1873年(明治6年)8月創建とある。1874年(明治7年):佐賀の乱。久留米陸軍墓地開設か。1875年(明治8年)4月26日:国庫供進1875年(明治8年)9月:「高山仲縄祠堂記」碑建立1892年(明治25年)7月27日:高山彦九郎100年祭1901年(明治34年)6月:官祭招魂社1939年(昭和14年)4月1日:山川護国神社と改称。1939年(昭和14年)7月:久留米陸軍墓地、野中町に移転。1947年(昭和22年)9月26日:南筑頌徳神社と改称。1959年(昭和34年):山川招魂社に改称(福岡県の戦争遺跡)。祭神勤王殉国の士:40柱佐賀の乱戦死者:67柱西南戦争戦死者:191柱その他西南戦争以降の三井郡・三潴郡・久留米市・八女郡・浮羽郡(旧久留米領内)出身の戦没英霊1938年(昭和13年)合祀の祭神名簿によるという。官祭の祭神のほかに「私祭人名簿」があったが神社明細帳には略されているので総数は確定できていないという。境内由緒書。祭神名簿一部。