小倉の空に映るメモリアルクロス。
メモリアルクロスの特徴
朝鮮戦争の国際連合軍将兵を慰めるために建設された大きな十字架です。
減刑に繋がったメモリアルクロスの歴史はあまり知られていません。
小倉の市街地を眼下に望む、思い出深い場所として親しまれています。
「骨はヒトを語る」でこの場所のことを知りましたここは単なる慰霊碑設置場所に過ぎないことが解ります。心霊スポットではありません。
小倉の市街地を眼下に望むこの地に建てられた大きな十字架は、朝鮮戦争(1950~1953)で戦死した国際連合軍将兵の霊を慰めるため、当時の米軍小倉師団の司令官たちによって建設され、日本に譲渡されたものです。高さ20mの鉄骨十字架で朝鮮半島に向いています。また、道路を隔てた山の頂上では、毎年、夏の夜を彩る小文字焼が行われます。小文字焼は昭和24年に小倉で開催された国民体育大会の記念と盂蘭盆会(うらぼんえ)の迎え火として大会前年の昭和23年から始められたものです。
小文字山、足立山に登った後で立ち寄りました。案内板を見てこれが何なのかを知りました。70年前に米軍が朝鮮戦争の戦死した兵士の慰霊の為に建立したものですがもっと大きな案内板を設置した方がいいのにと感じました。
メモリアルクロス建立が、国外収容中の日本戦犯の減刑にになったことはあまり知られていない。小倉YMCAの活躍。
これを知ったのは小倉城近くの松本清張記念館でいつも放映されているドキュメント映画 朝鮮戦争で犠牲になった米兵がここに眠っている。
小倉生まれの玄海育ちと言えば・・そんな者ではないけれど生まれ育った場所であり、思い出の深い場所である。小学校に上がる前、小学校、中学校、高校と遊び、散歩道であった。家族や友人と・・誰でもが持つ郷愁である。 十字架が建てられている。そこには英語でこう彫られている。{UNITED NATIONS MEMORIAL CROSS HONOR OF THE FALLEN HEROES OF THE UNITED NATIONS }1950~1953に起きた朝鮮戦争で戦死した国連軍将兵の霊を慰めるために建立された。私が小学生のころはここに遠足に来たものだ。その頃は何が何だか判らなかったが中学生のころに何故建立されたかが理解できた。後背地は小文字山で山歩きの人たちの姿が絶えない。昔は麓からでも十字架は見えていたのだがな。
名前 |
メモリアルクロス |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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昔ここに中一の時に住んで居たものですここは、昼でも不気味ですそして自分は、そこの十字架の所にお母さんと入ろうとした時に体とても重くなってしまってとても怖かったです夜は、犬の散歩に行くとガードレールがガンガンて、誰も居ないのに揺れたりまじでヤバいです。