ザビエルの上陸地、歴史を感じる唐戸市場。
フランシスコ·ザビエル下関上陸記念碑の特徴
フランシスコ・ザビエルが日本に上陸した地の記念碑です。
唐戸市場近くに位置する歴史的な石碑です。
山口のキリシタン文化を伝える貴重な存在です。
下関では、教科書のように「ザビエル」なんですね。山口市では、「サビエル」です。スペイン語の発音「シャビエル」になるべく近づけているそうです。せっかくなので、「聖フランシスコ・ザビエルの軌跡」の碑を写しておきます。ポルトガルを出て8年後の1549年(天文18年)鹿児島に上陸したキリスト教宣教師ザビエルらは、西国の覇者 大内義隆に会うために、翌年 平戸を経て10月末〜11月頃 下関の地に上陸しました。次いで1551年(天文20年)3月に平戸から再度 山口への道をたどりました。その結果、大内領内に布教が認められ、やがて1586年(天正14年)には下関にも教会堂が建てられ、キリスト教布教の一拠点ともなりました。
私のふるさと堺にはザビエル公園という有名な公園があるのですがまさか下関でザビエルと出会えるなんて。
フランシスコ・ザビエルの碑。
唐戸市場に向かう途中、何の記念碑だろうと見てみるとなんと教科書に出てくる 聖フランシスコ・ザビエルここだったのですね。
日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルが1550年秋に下関の地に来た際の上陸した地ということで、唐戸市場付近にはその石碑があります。ザビエルはカトリック教会の宣教師でイエズス会の創設メンバーの一人であり、日本やインドなどで多くの人々をキリスト教信仰に導いた聖人ですね。
1550年、フランシスコ・ザビエルは天皇のいる京都に向かうため九州を発ち、本州最初の地である下関に上陸しました。しかしこの後ザビエルは直接京都には向かわず、いったん山口の大内義隆を訪ね、布教の許可を得たのち、数ヶ月の間山口県内で宣教活動を行ったそうです。実は記念碑があるこの場所は埋め立て地なので、実際にザビエルが上陸したのはもう少し内陸側の、亀山八幡宮の大鳥居の下あたりではないかとされているらしいです。
ここで上陸したとは知らなかったですね。
唐戸市場とカモンワーフとの間にあった碑です。フランシスコ・ザビエル来日450年を記念して建てられたそうです。フランシスコザビエルは天文18年(1549年)に数人の弟子と共に鹿児島に上陸し島津氏に謁見、その後天皇から宣教の許可を貰うため、京都に行きたいと願い、鹿児島、平戸で宣教活動を行ったあと天文19年(1550年)11月頃、下関(唐戸)に上陸しました。山口では大内義隆から布教の許可を得ています。碑の右側にザビエルの生まれ故郷であるスペイン、ザビエル城の石が置かれていました。
イエズス会の宣教師 フランシスコザビエルの上陸記念碑山口のキリシタン文化を記録した貴重な石碑です。
名前 |
フランシスコ·ザビエル下関上陸記念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.pauline.or.jp/kirishitanland/20110911_shimonoseki.php |
評価 |
4.1 |
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唐戸市場からカモンワーフへと、進むボードウォークの途中にあり、ザビエル来日450年を記念して建立されまさした。1550(天文19)年、フランシスコ·ザビエルは京都に向かうため九州を発ち、本州最初の地、下関に上陸しまさした。現在記念碑があるこの地は埋立地であるため、実際にザビエルが上陸したのは、亀山八幡宮の大鳥居の下辺りではないかとされています。