坪内逍遙ゆかりのムクノキ。
虚空蔵堂と承久の乱 古戦場跡の特徴
虚空蔵堂は承久の乱の大井戸古戦場の北端に位置しています。
地元出身の文学者・坪内逍遙ゆかりのムクノキが存在します。
太田宿探訪の際に訪れるべき歴史的なスポットです。
虚空蔵堂付近が、承久の乱の大井戸古戦場の北端に位置するそうです。すぐ横の木曽川の堤防遊歩道に登ると古戦場 鳩吹山 土田城 御嶽山など綺麗に望めます。
4月21日に寄った。弘法大師の縁日なのか?虚空蔵堂の中で、婦人4人ぐらいでお経をあげられていた。
こちらには地元出身の文学者・坪内逍遙ゆかりのムクノキがあります。子供のころ、逍遙はこの辺りでよく遊んだそうですが、晩年夫人と二人でここを訪れてこの木の前で記念撮影をしています。それからこの地は承久の乱の時の古戦場とも伝えられています。説明板には太田側には朝廷軍が、可児側には幕府軍が陣取っていたとあります。少し前に坂井孝一著の『承久の乱』を読んだのですが、またまた美濃太田の地図を見ていたら「伝承久の乱古戦場(大井戸の戦い)」と書いてあったので、訪ねてみることにしました。まさか私の住んでいるところの比較的近くに承久の乱ゆかりの地があるとは本当に驚きました。皆さんもご存知のように、承久の乱は結果としては鎌倉幕府の圧勝で終わるのですが、その途上では激戦も展開されたようです。そうは言っても、承久の乱が勃発したのは西暦の1221年。なにぶん八百年も前のことなので、当然ながらこの場所に当時を偲ぶものは何もありません。敢えて言えば木曽川ぐらいでしょうか。坪内逍遙ゆかりのムクノキはかなり大きな木なのですが、樹齢はどれぐらいでしょうか?そのころにはあったのでしょうか?もしそうなら、承久の乱を目撃した生き証人かもしれませんね。
名前 |
虚空蔵堂と承久の乱 古戦場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.0 |
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太田宿の西端2023年5月中旬、太田宿探訪の際に行きました。旅人が休憩や宿泊したとも云われています。中山道はここから京都方面は段丘を下り木曽川沿いの道になっています。鎌倉時代の1221年には承久の乱の木曽川合戦があり、このあたりが北端と言われています。美濃加茂市出身の近代文学者「坪内逍遥」が、かつてよく遊んだといわれ「逍遥ゆかりのムクの木」が今も残っています。