四谷荒木町の隠れたお稲荷さん。
金丸稲荷神社の特徴
荒木公園の角に佇む小さな神社です。
四谷荒木町の飲み屋街に位置するお稲荷様です。
言い伝えのある情緒溢れる神社として知られています。
美濃国高須藩主松平摂津守上屋敷の守護神として天和3年(1683)創建昭和二十年五月二十四日の東京大空襲に際しては惜しくも全町が焦土と化し去ったが町民には一人の死者もなかった事はこれ偏えに大神の霊験あらたかなる由と推察される。(境内掲示より)
美濃国高須藩の上屋敷が建立したのが、始まり。当時の藩主は初代の松平義行。社殿は小さいが見事な彫刻が施されているのはここに由来するのだろう。江戸の大火や関東大震災を免れ、東京大空襲で人的被害が出なかったという。そういう経緯もあり信仰は篤いようだ。
なんとなく昔から神社に惹かれる特にこーゆう隠れた稲荷神社とかはどうしても寄ってみたくなる歩いたことない道を歩いてみよーとフラフラしてると目の前に現れた神社小さいけど雰囲気も良くてなんか安心感がある神社やった。
小さな神社です。新宿荒木町の氏神さまでしょうか…?御朱印はないと思います。
かなりこじんまりとして窮屈な造りの神社です。鳥居を潜り階段を上がると本殿があります。
荒木公園の角にあり、お手水などの水源ホースが荒木公園から延びているお稲荷様です。狛狐は鳥居側ではなく、表通り側の柵沿いに並んでおり、神社入口の鳥居は脇道に開いている変わったつくりの神社です。まあ、祠舎の正面にあると考えれば正しい位置なのかもしれませんが、なんとなく、もともとは表通り側に参道があったのが区画や工事などの関係で入口の位置を変えたのではないかと思われます。ちいさいながらきれいに整備されており、大事に祭られていることがわかります。こちらの狛狐はなかなかに美人顔でした。神社入口には『津の守弁天50m』の木立札があります。
近所のお店による機会があり、少し周辺を回ってみようと思い回っていましたら、なんと、お稲荷様がありました!神社巡りをやっていると神社がとても好きになっています。とてもキツネさんが可愛いです。お賽銭箱もなかなかない珍しい形なので是非、近隣に来た時は寄ってみた方がいいと思います。
料理屋の建ち並ぶ中にある神社。玉垣には伊勢丹以外にも四谷三業組合に料亭割烹の名があって花街の歴史を残しています。
東京随一のディープな飲み屋街・四谷荒木町のお稲荷さん。とんかつ屋の鈴新さんの隣にある。
| 名前 |
金丸稲荷神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
古き良き風情とグルメの町、荒木町の中に佇む小さいながらも目を引くお稲荷さんです。この辺りはその昔、大名屋敷の庭園であり、その後に花街として栄えた歴史もあるそうです。金丸稲荷神社は商売繁盛の神様。御祭神は宇迦能御魂大神。以下、境内掲示より金丸稲荷神社由来この金丸稲荷神社は御祭神に宇迦能御魂大神を奉斎しこの町の守護神として尊崇され今日に至る。天和三年西暦一六八三年美濃国高須藩主松平攝津守この地一帯を拝領上屋敷とされし折り藩主の守護神として金丸稲荷社を建立奉斎せられしよりと云う。この地を俗稱津の守と云うは松平攝津守の上屋敷跡なるに起因する。明治五年七月の政令によりこの荒木町が誕生し町の発展は勿論津の守三業地も次第に繁栄し気品高き芸妓と三業の名と共に金丸稲荷大神は荒木町町民の暮らしの中に鎮座せられ爾来百有余年を経るに至る。大神は和合繁栄財宝出世安全又火伏せの神として崇められ古くは度重なる江戸の大火にも尚大正十二年の関東大震災にもその災禍を免がれたりと伝えらる。昭和二十年五月二十四日の東京大空襲に際しては惜しくも全町が焦土と化し去ったが町民には一人の死者もなかった事はこれ偏えに大神の霊験あらたかなる由と推察される。昭和二十七年十一月に現在位置の隣接場所に遷座奉斎し来たるも昭和五十年四月吉日敷地整理のため神社は町内有志及び三業組合又崇敬者の寄進によって再び遷座再興されたものである。