文政三年の水鉢、歴史感じるひと時。
大田南畝の水鉢の特徴
江戸時代後期の狂歌師、大田南畝の書が刻まれている水鉢が魅力的です。
拝殿裏本殿の間に位置し、歴史的な雰囲気を感じることができます。
文政3年(1820)に淀橋の氏子により奉納された水鉢で、江戸時代後期の狂歌師大田南畝(蜀山人)(1749~1823)の書による「熊野三山十二叢祠 洋洋神徳 監於斯池 大田覃(落款)」という銘文が刻まれている。熊野神社は、江戸時代には熊野十二所権現社と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も行われた。享保年間(1716~1735)には八代将軍徳川吉宗(1684~1751)が鷹狩の機会に参詣したと伝えられ、池や滝を擁した周辺の風致は江戸西郊の景勝地として知られた。文人墨客も多数訪れたが、南畝が揮毫したこの水鉢も、そのことを示す文化財である。文政3年(1820)の熊野神社の祭礼には、十二社の大池で角乗り・筏乗りが出るなど盛大なものであったという。この水鉢もその際に奉納された可能性がある。
新宿区指定有形文化財◆大田南畝の水鉢文政3年(1820)に奉納された水鉢で、江戸時代後期の狂歌師として有名な大田南畝(蜀山人)(1749-1823)の書による銘文が刻まれています。文政3年の熊野神社の祭礼には、大池で角乗・筏乗が出るなど盛大なものでしたが、この水鉢もその祭に奉納されたものと思われます。鉢の大きさは、外部が幅150cm、高さ60cm、奥行64cm、内部の鉢の部分は幅126cm、深さ23cm、奥行40cmあります。
新宿区指定有形文化財の工芸品で、今から約200年前に奉納された水鉢です。水鉢には江戸時代後期の狂歌師である大田南畝の書による銘文が刻まれています。
拝殿裏本殿との間、柵内に置かれています。記年部分補修。区指定有形文化財(工芸品)。昭和59年指定 拓本画像追加します臥13100,・ 熊野三山 十二叢祠 洋洋神徳 監於斯池大田覃 印:大田覃印 粤上斯也惟暮之春 引首印:詩言之一右側面 「」部分欠損「文政三年庚辰」暮春左側面奉納 淀橋背面石工 亀右衛門・榮雲 刻之。
新宿区指定有形文化財の工芸品で、今から約200年前に奉納された水鉢です。水鉢には江戸時代後期の狂歌師である大田南畝の書による銘文が刻まれています。
文政三年(1820年)に奉納された水鉢。江戸時代後期の狂歌師、大田南畝の書による銘文が刻まれています。
柵で覆われてはいるがしっかりと力強い字体の水鉢でした。おおたなんぽのみずばち。
| 名前 |
大田南畝の水鉢 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
〒160-0023 東京都新宿区西新宿2丁目11−2 熊野神社 |
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しっかりと柵があり保護されてました。