下北沢の静寂、400年の歴史。
八幡山 森巖寺の特徴
400年以上の歴史を持つ、由緒ある浄土宗の寺院です。
大きな銀杏の木や梅の花が彩る、自然豊かな境内です。
忘れられた静かな場所で、閻魔様や弁財天をお参りできます。
大きな銀杏の木がとても印象的です。時間がゆっくりと流れる感じがしました。
東京都世田谷区は下北沢駅からほど近い場所に有ります「森巌寺」です。仕事で近くに来ましたのでブラリと訪問です。ここ森巌寺の創建年は慶長十三年(1608年)の江戸時代初期です。由緒としては初代江戸幕府将軍•徳川家康の次男•結城秀康の位牌所として建立された様です。徳川家に縁の古刹との事で、やはりそこはかとない上品さや奥ゆかしい空気感が有りましたね。境内には閻魔堂なども有り、閻魔大王像や不動明王像などが祀って有りました。また、同じく境内には三本のイチョウの巨木が有りましたね。創建当時もしくはそれ以前の植樹とされ、樹齢は400年あるいは600年との事です。小ぢんまりしていますが良い古刹でした。是非にブラリと訪れてみて下さい。
道標が指し示す地名として、しばしば登場する「あわしま道」の淡島さまを訪ねてみました。淡島堂は、森巖寺の境内にあります。かつては、お灸や女性の参詣先として人気を博し、往時の賑わいは針塚によってうかがい知ることができます。訪れた日は、ちょうど月に一回のお念仏会の真っ最中で、ずっと太鼓とお念仏の声が響いていました。門前に淡島大明神の道標石碑があります。「北 ほ里のうち よ川(つ)やみち」「東 あをやま 道」「南 ゆうてんじ めぐろふどう 道」
下北沢にこんな静かな場所があるなんて!そして、驚くほど涼しい!本当にこの敷地だけ爽やかな風が吹いて、気温が低く。大きな銀杏など、この季節は緑が多くて、本当に気持ちがよい。針供養のお寺。書き置きだけど、御朱印あり。
巨木に囲まれてた精舎なお堂には、阿弥陀様。ビックリ閻魔堂や淡島堂は江戸感ありました。境内の幼稚園からは明るい子どもたちの声がにぎやかに。下北も安泰だなと思ったお寺。
ブラタモリ(2023.4.22)で触れられる。江戸時代に「粟嶋のお灸」として有名に。立地の良さ(旧甲州街道と大山道のクロス地点)も相俟って、方々から多くの人がお灸目当てで訪れたそうです。年季が入った道標がその事を物語ってます。
閻魔様が奉られています。御住職さんがとても気さくな方です。
北沢八幡宮の手前、立派な門構えのお寺。境内は、幼稚園もあり、思ったほど広くはありません。3月初旬、ちょうど梅の見頃でした。シーナu0026ザ・ロケッツ、シーナのお葬式をしたお寺さんです。
きれいに手入れされた境内で閻魔大王も鎮座されている立派な寺院でした。ご朱印は書置きになりますが日付を入れて丁寧に対応いただきました。お守りなどairPAYで対応していたようでしたが、今日は現金でとのことで500円お納めしました。
| 名前 |
八幡山 森巖寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3421-1730 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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森巖寺は、1608(慶長13)年、徳川家康の次男、結城秀康の位牌所として建立されました。開山の清誉(せいよ)上人は、出身地である紀州(現・和歌山県)加田の「淡島明神」のお告げによる灸治により、長年の腰痛の苦しみから免れたことから、境内に「淡島明神」を勧請、代々の住職が灸治の法を伝え、毎月3・8のつく日に人々に施しました。月6回の灸治の日には数千を数える人が訪れるようになり、門前は賑わいを見せたといいます。山門には、かつて行われていた施灸の名残として「粟嶋の灸」の看板が掲げられています。施灸所の跡地は現在「淡島幼稚園」となっています。「淡島明神」では毎年2月に「針供養」が行われており、その創始は不明ですが、1856(安政3)年刊の『狂歌江都名所図会』には記載があります。2006(平成18)年までは境内に富士塚もありました。渋谷区神泉町と世田谷区若林二丁目を結ぶ「淡島通り」は、ここの「淡島明神」が名前の由来です。