五百羅漢の圧巻体験を!
玉宝寺の特徴
大雄山線五百羅漢駅近くでアクセスは便利です。
本堂内の五百羅漢像は貴重な木彫りで圧巻です。
歴史深い天桂山玉宝寺の静寂な禅寺で心が安らぎます。
圧巻という噂にいつわり無し!お堂の雰囲気もあいまって、羅漢さん達の熱気を感じられました。本堂へのお参りは寺務所への声かけが必要ですが、気軽に許可してくださいました🙏
小田急線の足柄駅より徒歩5、6分です。本堂内に木造の五百羅漢がありました。特に拝観料はなく、本堂内は社務所にお声がけして入ります。お寺に五百羅漢がある所は多くはないと思いますので、熱海や小田原観光にもう行く場所がないという方、また違う雰囲気の場所にという方には、駅からも近く足を運ばれてもよろしいかと思います。
以前から知ってはいましたが初めて訪問しました。大雄山線の五百羅漢駅裏手でホームから見え迷うことなく着きました。本堂は扉が閉まっていたので寺務所へ声がけした処、快くどうぞと言われました。御本尊様の両側へ羅漢様が鎮座しその様は圧巻で、堂内のため状態は良好でした。
手入め行き届いた静かな禅寺、本堂内の五百羅漢は圧巻、社務所に声掛けすると拝観させて頂けます。
小田急線の足柄駅・伊豆箱根鉄道大雄山線の五百羅漢駅に近い、曹洞宗の仏教寺院である。山号は天桂山。多古の五百羅漢として知られており、最寄駅名の由来でもある。1534年(天文3年)に創建した神社。小田原市内のご参拝スポットの1つ。釈迦如来が本尊で祀っている。中でも、五百羅漢像は1978年(昭和53年)に小田原市の重要有形民俗文化財に指定されており、この像は仏陀の入滅後に経典編纂に集まった羅漢500人への信仰から生じたものです。玉寳寺には、像高24~60cmの像が500体余りが本堂内に並びます。五百羅漢像が揃うことは、神奈川県内でも珍しくて貴重ですよ。無料で見学できるのは嬉しい。
天桂山玉宝寺に参拝🙏 【五百羅漢は市指定有形民俗文化財】天桂山玉宝寺条幻庵屋敷跡は、北条氏の家臣・垪は和伊予守(天桂寺殿活翁宗漢居士) が、母である玉宝貞金大姉の追福のため、天文3 年(1534)に開いた寺であると伝えられ、伊予守と母の法名をとって寺号としています。この寺は五百羅漢を安置する寺として知られ、「多古の五百羅漢」と呼ばれています。この五百羅漢は、木造で、立像は36cm~60cm、坐像のものは20cm余です。五百羅漢は木造のものや石造のものなど各所にありますが、木造でこれだけ立派に揃った五百羅漢は全国的に見ても珍しいとされています。五百羅漢像の造立は、享保15年(1730) からで、檀家の添田智鉄が一念発起し、7年間で170体を造りましたが途中で病没したため、弟の真澄が跡を継ぎ、宝暦7年(1757)に完成し、寺に安置したといわれています。御朱印を拝受致しました。
玉宝寺と言えば五百羅漢で知られていますが、その昔は白山の修験者の道場だった名残で、本堂裏の斜面にダキニ天稲荷社があります。境内の鐘は毎日6時と午前11時に鳴りますが、11時の鐘は小田原藩の処刑場での刑死者の供養のためにつかれています(11時に処刑が行われていました)。訪問時には処刑場跡(六地蔵があります)の見学と鐘の音を聴かれたら良いかと思います。春は枝垂れ秋は紅葉が美しいお寺です。
お寺さんが幼稚園を運営しているので、檀家以外はコロナ感染拡大防止の観点から羅漢拝観・御朱印できませんでした(令和4年4月25日時点)羅漢様は端から、こそっと拝観しました。コロナが落ち着いたら、また伺います。
通称【五百羅漢】又は、【多古の五百羅漢】と呼ばれていますが、正式には『天桂山・玉宝寺』と言います。起源は、北条氏の家臣であった垪和伊予守(はがいよのかみ)が天文3年(1534年)母の菩提を弔うために建立したのが始まりと云われています。享保15年(1730年)檀家の添田智鉄の発願により造立が始まり智鉄亡き後、弟の真澄が意志を継ぎ、宝暦7年(1757年)五百羅漢像を完成しました。木造の五百羅漢像は、全国的にも大変珍しく、立像は36㎝~60㎝、坐像は20㎝余りで526体の羅漢像が安置されています。
| 名前 |
玉宝寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0465-34-3247 |
| HP |
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/spot/gyokuhou.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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大雄山線五百羅漢駅の名にもなっている寺院でよく整備されており、。檀家で守られている。