清水山城跡で絶景と歴史を堪能!
清水山城跡の特徴
豊臣秀吉の朝鮮出兵当時に築かれた城跡です。
清水山城跡からの絶景は息を呑むほど素晴らしいです。
厳原八幡宮の背後に位置し、アクセスも良好です。
厳原の中心部から歩いていける山城跡です。歴史を感じられます。
秀吉の朝鮮出兵時の城、古代の城である金田城よりこちらの方が好みでした。観光情報館から1時間もあれば十分に往復出来ます。
厳原の市街地から近く、往復一時間半もあれば充分登城できました。
運動不足の私にはきつかったですが眺めは最高でした。
市街地のすぐ近くで本格的な山城を楽しめました。尾根伝いに石塁が続き、立派な石垣に囲まれた郭が次々に現れるので、城が好きな方にはお勧めです。
対馬は金田城がクローズアップされるが、この清水山城跡も中々よい城跡です。金田城は古代の城に分類されるが、こちらは中世に豊臣秀吉が対朝鮮を意識して建築を命じたもので、よりたくさんの工夫がなされている。また眼下には厳原の町ならず南の海も見渡せるし、三の丸から本丸まで少しずつ築城の仕方が違うのも趣がある。登る価値がある。
絶景です(*´Д`)たまに日の出を拝みに訪れますが夜景を目当てに来ても良いと思います(*´Д`)信じるも信じないもあなた次第‼️笑。
厳原八幡宮の背後に控える清水山城跡は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の年である天正19年(1591)に構築したといわれています。肥前の名護屋、壱岐の勝本、上対馬の撃方山を結ぶ兵站線の駅城で独立状の丘陵清水山は馬背状を呈し、丘陵線上に、本丸、二の丸、三の丸と地形に即して階段状に営んでいます。規模はさほど大きくありませんが、歴史的には文禄慶長の役の遺跡、構造上からは遣禄頃の城跡、また、三郭には虎口の桝形の遺構が極めてよく残っているなど、国指定記念物でもあり、史跡としての価値が高いです。
国指定史跡清水山城跡今から430年ほど前の天正19年(1591年)豊臣秀吉は朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際し名護屋城から朝鮮への経由地となる壱岐と対馬に兵站基地となる城を築くことを命じ毛利高政によって築城されたと伝えられている。現在は一部の石垣が残されており、山麓の厳原市街地からも見ることができる。清水山城は山頂の本丸から南東の尾根先へ二の丸、三の丸を配す。清水山城の特徴としてこの本丸から先端の三の丸までの尾根を石垣で固めていることにある。このため尾根を登っている部分は登り石垣のようになっている。麓の金石城跡から登城路が続いていて清水山城跡本丸まで徒歩30分程度です。駐車場は対馬藩宗家の菩提寺万松院の駐車場が便利です。#お城 #城 #山城 #城郭#城跡 #長崎県 #対馬市 #清水山城#豊臣秀吉。
名前 |
清水山城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0920-52-1566 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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一の丸は殆ど藪になっていましたが、2箇所ある虎口や石垣は良好に残っていました。搦手道には切岸が残ります。