渋沢栄一像で感じる歴史。
子爵渋沢栄一像の特徴
渋沢栄一像は、雨の日に訪れると特別な魅力を放つ。
明治5年に設立された養育院の象徴を感じられる場所。
2021年度大河の主人公で新一万円札の銅像が存在する。
旧養育院長渋沢栄一銅像日本の福祉・医療の原点である「養育院」は、明治5年(1872)に設立されました。渋沢栄一は明治7年以来その運営に関与し、養育院長とし半世紀を越えて中心的な役割を果たしました。その偉業を顕彰するため、まだ存命中の大正14年(1925)、幅広い東京市民の醸金により建てられたのがこの銅像です。帝展・文展の審査員も務めた彫刻家、小倉右一郎の制作で、高さ16尺(4.3m)、方20尺(5.4m)の花崗岩の台座に、高さ10尺(3.75m)、重量480貫(1.8t)の青銅で作られています。フロックコートをまといソファーに座る晩年の姿を映しています。また、昭和18年(1943)金属供出のためにコンクリート製の代替像が作られ、本体は敷地の一隅に置かれて供出作業を待っていましたが、輸送の為の交通事情、都内空襲などで回収作業ができず、昭和20年4月13日の板橋地区の空襲にも焼け残り、供出されないままに昭和20年8月15日の終戦を迎えました。昭和32年に、作者・小倉右一郎の監修のもとに修築され、その後3回の敷地内移設を経て現状に至っています。大正年間の養育院に関する造形物であり、板橋区の近代化の歴史を語る重要な史料となっています。平成26年(2014)3月に板橋区の登録文化財(歴史資料)となりました。平成26年12月板橋区教育委員会。
にぎやかな町に囲まれた美しい庭園(原文)Beautiful garden among bustling town
2021.2.24NHK BS「英雄たちの選択」で紹介されました。渋沢栄一が整備に尽力した東京養育院があった。
2021年度大河の主人公、そして新一万円札にもなる、医療事業を称えて作られた銅像です。台座もあわせて8メールもある大きな立派な銅像です。
巨大です。横には渋沢栄一が院長として事業の発展に力を尽くした養育院本院の碑も建っていました。
東京駅と埼玉県深谷駅の近くにも像が有りますよ。
名前 |
子爵渋沢栄一像 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ

なぜか渋沢栄一像を見る時は雨が降っている。養育院やこの病院のことも知っているが、ここの記憶はなかった。こんなに大きな銅像に気が付かないとは…