飛鳥山で感じる江戸の風情。
飛鳥山碑の特徴
飛鳥山公園内にあり、歴史を感じる記念碑です。
江戸時代から読むのが難しい漢文の碑文が魅力的です。
八代将軍徳川吉宗ゆかりの桜の名所を顕彰しています。
題字は古文篆書で、本文にもまま異体字があり、難解と呼ばれる飛鳥山碑ですが、徳川吉宗の侍講をつとめた儒臣の成島錦江(1689~1760)の撰・書なので、きちんとした漢文で、文字は美しいです。山水名所などの石碑には自然石の青石を使うことが多く、この碑も例外ではなく、石面の凹凸によって碑文が判然としないことは往往です。実は碑陰に文字があって、格子の間から見て取れます。さすがに吉宗に関わる碑だけあって立派で美しく個人的に好きな碑です。・飛鳥山碑 (碑文略)元文丁巳之秋、奉祠金輪寺住持權大僧都宥衛立、東都圖書府主事鳴鳳卿代撰并書【碑陰】飛鳥山四至牓示、自艮至坤十三歩、自巽至乾二百二歩、 加藤忠郁刻[臥11124]
飛鳥山の碑は碑文があまりにも難解な漢文で書かれ江戸時代から読めない碑として有名だったそうです。川柳では何だ石碑かとひとつも 読めぬなり 飛鳥山どなたの墓と べらぼうめ この花を折るなだろうと 石碑見る 誰の石塔か知らねえが、馬鹿馬鹿しく長い戒名だなんていう小話があります。 有名な石碑で、浮世絵にもじつにたくさんありす。 この石碑の下の広場は昭和12年のオリンピック開催予定で造成されましたが、オリンピック返上で幻のオリンピック公園広場と言われています。
普段使われない様な異体字を交えた漢籍碑文。江戸中期の日本風漢文であり、その時代性と地域性がゆえに、非常に読解することが難しいと評される。その難解さは当時から良く知られ、川柳のネタにされたほど。また、「主部と術部をどこにするか」を読者にある程度委ねてしまっている漢文の性質も相俟って、碑文解釈の揺らぎが生じてしまっている。実際、石碑の建立から数十年経った後の本刻に『飛鳥山碑始末』『新編武蔵風土記稿』などが存在するが、いずれも読下文が異なっている。四書五経を暗記しても、スッと読める様な代物ではないのだろう。おおよその内容としては、①和歌山県の熊野に祀られる伊邪那岐命、伊邪那美命、事解王子の説明。②室町時代、豊島氏がその神を勧請し、当地に祠をして祀ったこと。事解王子のオウジとそれを祀る阿須賀神社のアスカが、「王子」「飛鳥山」の由来になったこと。③徳川家光が古くなった祠を直して、現在の王子神社の辺りに遷宮したこと。当地には飛鳥山という地名だけが残ったこと。④徳川吉宗が飛鳥山を整備し、盛大な観光地になったこと。⑤それを記念してこの石碑を建てる旨などを刻む様である。なお、室町時代、熊野三社は人々が頻繁に行き交った超絶人気パワースポットであり、当時の天皇も何度も参拝していた。豊島氏がこれを自らの支配地に勧請するのはとても自然な流れだった。
飛鳥山公園の中にあります。とても大きくて目を引きます。「明治三十七八年戦役記念碑」の近くです。
八代将軍徳川吉宗の命によって飛鳥山に桜が植えられ、江戸市民の行楽の場となったことを顕彰するための記念碑。
これは江戸時代からある石碑です。阿須加神社がありそこの名前から地名を取り現在の飛鳥山となったそうです。実際には読めませんけど。
| 名前 |
飛鳥山碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://www.city.kita.tokyo.jp/hakubutsukan/rekishi/fureru/bunkazai/takinogawa/rokkoku/asukayamahi/ |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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八代将軍徳川吉宗の命によって桜が植えられ、江戸市民の行楽の場となったのが飛鳥山です。これを顕彰したのが「飛鳥山碑」だそうです。内容は…、他の方の書き込みかネットでお調べください(笑)