崇徳上皇ゆかりの地、綾の局物語。
姫塚(崇徳上皇ゆかりの地)の特徴
崇徳上皇が配流された地であり、歴史を感じられる場所です。
綾高遠が娘の綾の局を上皇に仕えさせた歴史的な背景が魅力です。
崇徳上皇と綾の局の物語が伝わる、情緒あふれる史跡です。
崇徳上皇が讃岐に配流中、上皇を気付かった綾高遠は、自らの娘である綾の局に上皇の身の回りの世話をするように命じたと伝えられています。やがて、上皇と綾の局との間に皇子と皇女が誕生しましたが、幼くして亡くなられたと伝えられます。この姫塚はその皇女の墓であるとされています。
崇徳上皇が雲井御所にいた頃、綾高遠は娘である綾の局に上皇の身の回りの世話をするように命じ、やがて上皇と綾の局との間に皇子と皇女が誕生したが、幼くして亡くなったいう。この姫塚はその皇女の墓であるという。皇子の墓は菊塚といい、鼓岡神社のすぐ北にある。
名前 |
姫塚(崇徳上皇ゆかりの地) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.6 |
周辺のオススメ

保元元年(1156年)保元の乱に敗れて讃岐に配流と成った崇徳上皇は松山の津に到着に成られました。ところがまだごしょが出来ておらず在地の有力者、綾高遠が自分の館を修繕し仮の御所とされたと伝わります。雲井御所跡として今も伝えられています。さて、この仮の御所にお住まいに成られていた頃、何かと不便があってはいけないと綾高遠の息女である綾の局が上皇の身の回りのせわをしておりましたが、この綾の局と上皇との間に皇子と皇女が誕生したと伝えられています。この塚はその皇女の墓であると伝えられて地元の人は姫塚と呼んでいます。場所は仮御所でした雲井御所から西に300mの綾川を渡った田んぼの中に祀られています。文書は姫塚に有ります説明板を引用しています。