二百五十年の歴史、室田家の庭園。
室田家の特徴
HAGIオープンガーデンで楽しめる美しい景色が魅力です。
萩市川島の庭園でリラックスできる特別な体験ができます。
四季折々の植物を眺めながら心安らぐ時間を過ごせます。
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HAGIオープンガーデンで訪問。庭園に珪化木があります。
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| 名前 |
室田家 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0838-26-1536 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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室田家の庭園は二百五十年ほど前に作庭された由緒ある江戸時代の庭園で、この庭園とほぼ同時期に作られた人工運河である藍場川の水を東から庭に取り入れて西に戻す遣水式の流水庭園とし、水の豊富な城下町の武家屋敷に多く見られる庭園です。本庭では遣水が池の形態をとっており池庭と呼ぶこともでき、池は深く護岸石組みは大変変化に富み、選りすぐった石で構成され、この庭園の大きな特徴となっています。これらの護岸石組は萩城石垣と同じ笠山から産出された玄武岩で、池の対岸は一見すると島には見えませんが、藍場川と池の間に位置する立派な島です。島には数が不明ですが、少なくとも二つの立石があります。これは夫婦和合の象徴でしょうか、若くは蓬莱を表すのかもしれませんが、島には二つの反橋が架けられているので違うかもしれません。江戸時代の武家庭園の多くには慣例的に子孫繁栄を祈願する陰陽石が置かれています。庭園へは東側にある数寄屋風のくぐり門からはいります。この門は伊達正宗ゆかりの門と言われているそうです。数寄屋風で質素な作りですが略式ながらも格式高い薬医門の建築様式をとっており、見事な竹の浮き彫りが大変美しい。門をくぐると芝生の広場が眼前に広がります。広場の右手・北側に池や植栽、左手・南側に屋敷があります。通常の庭は屋敷の南側に作られますが、室田家の場合は屋敷の北側に作られています。屋敷から臨むと、まず手前に前景として芝生の広場が面として広がり飛び石などが置かれ、次に中景として池泉と低木の植栽、ほぼ中景と一体となりながらも後景として池の対岸である島に植えられた主木の松などの中~高木の植栽、そして背景の高い生け垣、という奥行き感を生む地割り構成となっています。屋敷と池の間に明るい芝生の広場を挟むことで建物の影は庭には届きません。そこには常に日差しが溢れこの庭が北向きであることを忘れさせます。また庭内の木々は南側の屋敷に向かって枝葉を伸ばし花を咲かせるので、邸内の座敷正客から鑑賞するとき庭は最も美しい姿となるのです。開花時期をずらし長いあいだ花を楽しめるサツキやツツジは大小の玉ものに仕立てられ、主に池に寄り添うように群生で大小変化をもたせて植栽されており、中景の庭木の中では中心的存在となります。この他、池の周辺には様々な庭木が植栽されており、後景に属する島には珍しい形の石組みとその背後に主木の松が植えられ庭に高い品格をもたらしています。また、門の傍に聳えるモミの木は樹齢二百五十年で、本庭が作庭された際に植えられたもので、その近くには夏に花を咲かせるサルスベリも植えられています。さらに東側の蔵の白壁の前には「水流」という美しいヒノキ科の木が植えられ、その名前は「枝から水が流れるように伸びている」ことに由来しています。庭園の背後の住宅地を隠し美しい屏風のように立つ生け垣は京都の庭などでもよく見かける大変見事な設えです。芝生の広場は本来なら明治以降の近代和風庭園によく見られる特徴ですが、この室田家庭園の築庭は二百五十年前の江戸時代で武家屋敷の庭として地割りされています。その意味においては本来この芝生の広場は子弟のための剣術等の鍛錬場であった可能性もあります。池のそばの芝生の中に二万年前の楠の化石である珪化木が置かれており、これは今で言うガーデンチェア的な物?ひょっとしたら剣術の指導者が鍛錬を見守るための椅子も兼ねていたかもしれませんね。庭内に置かれている石灯籠や手水鉢などの石造景物は、江戸時代に毛利氏の家臣であった柳沢氏の別邸から移築されたものだそうで、なかでも中国風に仕立てられた縁先手水鉢には「東呉」の漢字が彫られており、江戸時代の「三国志」人気を物語る歴史的資料と言えるのかもしれません。見晴らしの良い庭園では煎茶が嗜まれていたのでしょうか。☆本文の作成にあたり庭園オーナーである室田佳子さんのご協力をいただき、また同氏より四季折々の室田家庭園の写真をご提供していただきましたので、Google mapに投稿させていただきました。深く感謝いたします。(令和元年11月21日)