異国の地に眠る捕虜の碑。
ロシア兵墓地の特徴
日露戦争で捕虜となったロシア兵が眠る特別な場所です。
捕虜収容所長が関わった記念碑が存在し、歴史を感じます。
天下茶屋と浜寺俘虜収容所に関連する貴重な墓地です。
★捕虜収容所長の漢文による墓地建設由来を刻んだ石造記念碑があります。
ロシア戦争で捕虜となり、遠い異国の地で亡くなった方々のお墓です。道路からはこのお墓は見えないのですが、塀に絵が描かれていますのでそれを目印に中に入りました。そこには洋風のお墓がきれいに並んでいました。お花が一輪一輪丁寧に供えられているのがとても印象に残りました。
天下茶屋と浜寺俘虜(捕虜)収容所で亡くなられた方々を埋葬している墓地です。1905年2月 兵士1名が肺疾で病死1905年3月までに病死者11名1905年4月 軽傷180名、重傷20名が入所。1905年4月 腸チフス患者1名が死亡。1905年5月 歩兵1名病死。1905年7月 落雷で9名死亡。1905年11月 暴動で2名死亡。『日露戦争と大阪の俘虜収容所』大西二郎著ほかを参照。
天下茶屋と浜寺俘虜(捕虜)収容所で亡くなられた方々を埋葬している墓地です。1905年2月 兵士1名が肺疾で病死1905年3月までに病死者11名1905年4月 軽傷180名、重傷20名が入所。1905年4月 腸チフス患者1名が死亡。1905年5月 歩兵1名病死。1905年7月 落雷で9名死亡。1905年11月 暴動で2名死亡。 『日露戦争と大阪の俘虜収容所』 大西二郎著ほかを参照。
名前 |
ロシア兵墓地 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0725-33-1131 |
住所 |
|
評価 |
3.3 |
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日露戦争で捕虜となったロシア兵が、こちらで眠っております。203高地(単純にそこが海抜203mなだけ)のある旅順で投降したロシア兵で、多くは傷病兵だったそうです。浜寺収容所に入ったそうですが、ハーグ条約に基づき捕虜の扱いには、かなり配慮がされ、娯楽室もあったそうです。しかしながら、そういった厚遇の甲斐無く、故郷に戻れず亡くなった傷病兵の方々が泉大津に眠っています。