藤原鎌足生誕地、歴史を感じる。
大原神社の特徴
万葉文化館の無料駐車場から徒歩でアクセスできます。
大原神社は藤原鎌足の誕生地として有名です。
大和国高市郡の歴史的な場所が静けさを醸し出しています。
駐車場はありませんが、万葉文化館の無料駐車場から歩いて行くことができます。神社の中から裏手に行けば藤原鎌足の産湯の井戸に行くことができます。
大原の里藤原鎌足の誕生地です。本当にここで生まれたのか、談山神社への道の途中にあった神社に有名人を合祀しただけのようにも思えます。確かに多武峰が目の前ですが。産湯の井戸も少し後付け感があります。すぐ先に鎌足のお母さんのお墓がありますし出来すぎ感ありです。鎌足のお墓については様々な意見があり、茨木市だったり山科だったり。最後は談山神社なのでしょうけど。
御祭神:品陀別命/大織冠鎌足(藤原鎌足)創建は不明です。当地は藤原鎌足の生誕地と伝えられ、「大織冠伝」(760年頃成立)という書物によると、推古天皇22年(614)、大倭国高市郡の人として藤原の邸宅に生まれたと記されています。拝:2020/07/19
飛鳥から談山神社のある多武峰に続く道の途中に、藤原鎌足生誕の地がある。近くにはお母さんのお墓(古墳)もあり、本当にこの辺りに生まれ、生きていたのだなぁ、としみじみ思った。あまり観光客は見かけないが、静かで歴史を感じさせる。産湯の井戸は少し川沿いの舗装されていない道を歩くようなので、トレッキングシューズなどでいった方が良さそう。
ぽつんと立地。目立たないので通り過ぎそうになります。近年まで影響力を持ちつづけた、名門藤原家の祖、中臣鎌足の生誕地。中臣姓だからだろうか、この土地は飛鳥のはずれに該当しそうな山間にある。ここの場所から日本の歴史を動かしていく藤原家の祖が出たのだと思うと面白い。なお産湯の井戸は草が生い茂り怖かったので降りることを断念しました。
2019.12.13訪問藤原鎌足は推古天皇の二十二年(614)大和国高市郡の生まれその誕生の地とされている場所が、ここ明日香村小原(オオハラ)にある大原神社である。ここには「大織冠(たいしょっかん)誕生之旧跡」という石碑が建っている。「大織冠」とは天智天皇が死の床にあった中臣鎌足に、「藤原」の姓とともに授けた大臣の位であり、正一位に相当するという。なお、「大織冠」という位を授けられたのは中臣鎌足と百済王の扶余豊璋の二人のみである。藤原鎌足は推古天皇の二十二年(614)大和国高市郡の生まれとされ、その誕生の地とされている場所が、ここ明日香村小原(オオハラ)にある大原神社である。ここには「大織冠(たいしょっかん)誕生之旧跡」という石碑が建っている。「大織冠」とは天智天皇が死の床にあった中臣鎌足に、「藤原」の姓とともに授けた大臣の位であり、正一位に相当するという。なお、「大織冠」という位を授けられたのは中臣鎌足と百済王の扶余豊璋の二人のみである。大原神社の奥を流れる「中の川」のほとりには「藤原鎌足産湯の井戸」が有ります。
看板がなければなにかわからなかった。
他に観光客いませんでした。近くに大伴夫人の墓もあります。鎌足産湯の井戸は分かりにくかったです。
藤原鎌足の生誕地です。近くには母親である藤原夫人の墓と古墳があります。産湯の井戸もありますが、かなり坂道になっているので足の悪い人は行くことができません。この地で読まれた和歌の碑があります。駐車場はありません。
名前 |
大原神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=34158 |
評価 |
3.5 |
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大伴夫人の墓の側にある神社です。