水戸城址の美しき姿を散策。
水戸城跡の特徴
水戸城は日本100名城の一つで、様々な歴史が詰まっています。
徳川御三家の一つである水戸藩の居城で、多くの遺構が残されています。
整備された水戸城跡は散策に最適で、豊かな歴史を感じることができます。
江戸幕府に憚り、江戸近隣の城は天守建造を行わず、水戸城もそれにならったとの事です。しかし外見は三層、中は五階建ての御三階櫓と称す大型の櫓があり天守閣の代用とされ、太平洋戦争時の水戸空襲で焼失し、その後は再建されなかったようです。一部が城址として残存、整備されていますが、現在の城跡は、立ち入り不可な場所が多く、また多くの学校や保育園が建っていますが、周囲を城内の作りのようにしているのが印象的です。
🏣茨城県水戸市三の丸🅿️🚗…弘道館入口近くにありました(無料)🚃…水戸駅から徒歩7分程※城跡は時間制限無く見られますが、二ノ丸展示場は9時~16時30分(開館、無料)二ノ丸角櫓は9時30分~16時(開館時間、無料)薬医門は水戸第一高校の敷地内に移築されています。※那珂川と千波湖との間の小高い丘に、本丸、二ノ丸、三ノ丸、下の丸と土造りの平山城は国内最大の規模だそうです。平成に入り「二ノ丸角櫓」が復元されています…北多聞櫓.角櫓.東多聞櫓で構成されています。復元途中の工程を櫓の中のビデオで見ることが出来ます。※本丸と二ノ丸の間の堀は(JR 水郡線)二ノ丸と三ノ丸国道が通っています。小学校、高校や公共の建物が城跡、跡に建てられていました。水戸学の道…光國ルート、斉昭ルート、慶喜ルート等のお薦め散策コースが有るようです。※薬医門は水戸城で唯一現存する建造物の1つでその様式から安土桃山時代後期と推測されているそうです(重厚な門でした…県指定文化財)大手門は2020年に復元された(明治に取り壊された)※初代城主から…徳川頼房(1609年~1661年)~11代徳川昭武(1868~1869年)までの徳川家の居城。1871年~1945年までの間に取り壊されたり、放火により焼失、空襲により焼失と建造物を失くしてしまう。※今さいど修復復元されて行くようですが…近隣の文化財も拝見👟👟
ふと、水戸城って行ったことないな、と思い連休を利用して訪問。事前に情報を得ずに行ったのだが…広いわ〜モッチャ広いわ〜。本丸に高校、二の丸に高校中学小学校幼稚園、と建てられてて、その合間合間に復元されたお城の建物があるという。仙台城の二の丸?三の丸?が丸々東北大学だったのもビックリしたが、こちらはそれ以上だった。そして、本丸と二の丸の間の堀跡に鉄道が、二の丸と三の丸の間の堀跡にバイパスぽい道路が通っていて、でっかいお堀だったんだなというのもわかる。三の丸の弘道館もメチャメチャ広くて、贅沢な作りだった。日曜なのに観光客もあまりおらず、穴場観光地かもしれません。みんな偕楽園に行っちゃうのかな?
水戸城には三ノ丸・二ノ丸・本丸と3つのエリアがある。他の城だと区切りが分かり辛いが水戸城の場合市毛水戸線と水郡線によって明確に分かれている。一番西側の三ノ丸は宗教的・文教的施設が集中するエリア。弘道館はじめ孔子廟・鹿島神社・八卦堂などが鎮座する。弘道館は水戸藩の藩校。水戸に来て弘道館を見ぬ者はいないであろう。二ノ丸は白壁が巡らされた軍事的施設が多い空間。大手門・彰考館跡・坂下門・見晴台・二の丸角櫓がある。見晴台と二の丸角櫓はメインの通りから外れているように見えるが専用の通路を通って行くことができるようになっているので見学しやすい。彰考館は弘道館と混同しやすいがこちらは藩校ではなく大日本史編纂の為の場所。本丸は学校の敷地となっているので原則見学不可。ただし薬医門だけは見学可能。
現存するお城っぽい建物のほとんどは平成になってからの再建ですが、壮大な縄張の跡はいまなおはっきりと看て取れます。水戸城は江戸氏が築き、佐竹氏により大幅に拡張されて、佐竹氏が秋田に転封された後に水戸徳川家の居城となりました。江戸氏時代からある本丸は重視されず、藩政の中心は二の丸にあって、三の丸には後に藩校の弘道館が置かれました。二代藩主の「水戸黄門」こと徳川光圀が「大日本史」を編纂して水戸学の基礎を築き、九代藩主の徳川斉昭の代に至って、水戸学の尊王思想は攘夷思想と結びつき、尊王攘夷思想となって日本をゆるがせます。水戸は徳川御三家のおひざ元でありながら後の倒幕へとつながる運動の思想的震源地となったわけですが、当の水戸藩は原理主義の天狗党と、現実主義の諸生党の争いにより消耗し、幕末の政局から退場を余儀なくされます。多くの人材が無為に失われ領内は荒廃、水戸城の建築物も多くが失われます。明治の廃城令により水戸学の中心地であった弘道館は存置、政庁であった御殿他の建物は解体が決まります。城内の土地は陸軍の駐屯地、役所、学校などに転用されます。棄却をまぬがれた建物のうち、薬医門は現存、本丸隅櫓は放火により焼失、水戸城の象徴であった御三階櫓は第二次世界大戦中の水戸空襲により焼失しています。水戸空襲では偕楽園の好文亭、水戸東照宮も全焼しています。幕末の内紛、廃城令、空襲の三連撃により、水戸城と水戸城下から近世期の建物はあらかた失われました。しかしながら、大きすぎてわかりづらい面はありますが、二の丸の東西に現存する掘割は圧巻です。西の空堀が県道、東の空堀がJR水郡線となっています。立派な石垣があるわけでもなく、気付かずに通りすぎる人がほとんどのようですが、理解して見れば実戦的な城の構造を実感できます。水戸市立第二中学校の敷地内の通路を抜けた先にある見晴らし台もおすすめです。城の北側にあって天然の水堀を成していた那珂川の流れを、曲輪の跡から一望できます。紀伊徳川家の和歌山城、尾張徳川家の名古屋城のようなわかりやすい見どころに欠けるものの、水戸城もまた、徳川御三家に相応しい名城です。わかりにくいのにわかりやすい解説がぱっと目に付くところにないのが難点ですが、二の丸角櫓の解説がわかりやすいです。
遺構は堀、土塁など。大堀切は見どころがある。弘道館は絶対行ったほうがいいよ!!最近は門、櫓が復元されたから行くといいです!
あちこちが復元されていてて城跡全体が真新しい感じで自分的には食指が動きませんでした。城の歴史としては平安時代にさかのぼり当初は馬場氏の居城となり馬場氏を追いやった江戸氏の居城となり1590年佐竹氏が水戸城を強襲し江戸氏を追いやり江戸氏は滅亡しました。その後は徳川家の城として徳川頼宣公が封じられ以後御三家の居城として明治を迎えます。
水戸城址の旧県庁前のお堀の銀杏が、見事に紅葉していました!11月30日時点ですが、落ち葉の黄金の絨毯が敷かれて、この素晴らしい景色を見るなら今ですよ!空堀の緑と銀杏の黄金色の対比が、とっても美しく必見です!
日本100名城です。スタンプは弘道館受付窓口にあります。弘道館横に無料駐車場あります。大手門、門、二の丸隅櫓などが復元され土塁やお堀も整備されていて見応えがあります。弘道館がある三の丸は県の施設などがありぐるっと土塁とお堀に囲まれてます。現存、重要文化財の弘道館内部は資料館になってます。正門には銃弾の穴が残り、戊辰戦争で恭順した15代将軍徳川慶喜が過ごした部屋も公開されてます。二の丸の敷地には学校や幼稚園がいくつもあり、その間を縫うように見学コースがあります。
名前 |
水戸城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
029-306-8132 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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水戸城の本丸や二の丸、三の丸の多くは高校や小学校などの教育機関となっており見学できるところは少ないです。城門を過ぎると水戸一高、校内には藥医門があります。三の丸の水戸藩校の弘道館は往時をしのばせる建物で重要文化財です。