スポンサードリンク
スポンサードリンク
名前 |
根倉神社・國之御神社跡地 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.0 |
根倉神社と國之御(クニノミ)神社の跡地で今は畠中神社に合祀されています。「式内」とは平安時代中期の西暦927年(延長5)に天皇の命で編纂された延喜式(養老律令に対する施行細則を集大成した古代法典)に記載された神社であるという歴史ある意味です。しかしその延喜式には根倉神社と表記されていなく「櫃倉(ヒツクラ)神社」と書かれていますがそれが根倉神社といわれています。また國之御神社も同じく延喜式に記載されています。そのような由緒ある神社跡が明和町や祓川、櫛田川沿いが多々あります。斎宮が栄えていた影響で周辺に氏神と違う中央政権に違い神社があったと思います。明治初期に国の命令で神社の数を減らす政策が執られ神社を統併合する合祀がされて跡地として残っています。