印象的な御神木と共に。
竈神社の特徴
大きい御神木が印象的な、水戸市本町の神社です。
備前堀の脇に位置し、散策にぴったりの場所です。
旧水戸七社の一つで、信仰を集める由緒ある神社です。
水戸市に鎮座する、この周辺では比較的大きな神社です。境内には、御神木のような大木があり、その存在感は凄かったです。こちらの神社が鎮座する周辺には、願い事が書かれた人形のようなものがたくさんある『金刀比羅神社』や、赤い鳥居が目印の市杵姫神社、金運アップのパワースポットである銭谷稲生神社など、小さいながらも興味深い神社が点在し、散歩しながら神社巡りを楽しめます。こちら竈神社には、御朱印もあるようで、拝殿の壁に見本が掲示されていました。境内には、もう一つ神社がありました。トイレは見当たりませんでした。駐車場も無いので、道路の脇に駐車するか、公共交通機関であるバスで来た方がいいかもしれません。大きな有名な神社ももちろん素敵ですが、街中にあるこのような小さな神社を巡る旅も面白いと思います。
三宝荒神とは仏・法・僧の三宝を守護する神であるが、民間では火の神・かまど神とされた。竈神社も「おかまさま」と呼ばれ広く信仰されている。
備前堀を散策しようと前を通りかかったところ、竃の文字が目に飛び込んできてちょっと眺めさせて頂きました。常時受付しているのかは分かりませんが社務所がありました。由緒書によると何度か遷座してここに落ちついたようです。火の神、かまどの神である三宝荒神様を祀っているようです。
2021.10.2.参拝吉田神社から徒歩10分少々で到着。「備前堀」と云うお堀沿いに在る小さな神社。参拝後、クチコミでみた宮司さん宅はもしかして右手の住宅か?お留守の様なので、御朱印は断念。お堀に沿って市杵姫神社へ。因みに鬼滅の刃とは関係ありません。
こんなとこに神社⛩があるとは。知らなかった。
備前堀の脇にある。三宝荒神竈神社。竈(かまど)が読める人凄い。
水戸七社の一つで「おかまさま」として農村部の信仰を集めた神社。火の神様として民衆に親しまれた神様。古くから水戸城内に三宝荒神として祀られていましたが、1690年(元禄3年)に徳川光圀の命により現在の場所に遷され、さらに徳川斉昭によって三宝荒神から竈神社と名称が変えられました。
会社の氏神様です。コロナが終息するよう、どうかお力を貸してください。
水戸市本町に鎮座する神社です。奥津彦命(オクツヒコノミコト)、奥津姫命(オクツヒメノミコト)、中御方命(ナカミカタノミコト)が御祭神として祀られています。【由緒沿革】※頂いた御由緒書きより創立は不詳。初め三宝荒神と称し、旧水戸七社の一とされ水戸城猪山東部に鎮座。寛永三年(1690年)水戸藩主徳川光圀公が社名を竈神社と改称。明治六年四月一日村社列格。同四十年三月八日供進指定。昭和二十七年十二月十日宗教法人設立。昭和二十年の戦火にて社殿焼失。昭和四十四年社殿再建する。この神社は農村方面の信仰が篤く、「おかまさまの様」の愛称で親しまれる。四季を通じ神札を今も受けている。竈をつかさどる神で、日常生活に欠かす事の出来ない竈神である。(命をつなぐ大事)穢れに敏感であるとされ、その意に反する行をすると激怒して恐ろしい祟をなすと信じられ、荒神とも呼ばれている。火所を守護する神聖な神である。神社境内正面より右手には由来碑がある。大正十四年十一月菊池謙二郎撰文拝書再建碑を備前堀側より現在の位に建てる。とあります。御神木は水戸市の保存樹に指定されています。駐車場は、少し分かりにくいですが神社裏手にあり、近くには公園もある、良い環境の中にある神社です。もちろん、神社自体も雰囲気のあり、穏やかな空気が漂い大変居心地が良い空間でした。裏手、備前堀にかかる橋の名前も、こちらの神社と関係があるのでしょうか。気になりました。御朱印は、お隣の宮司様宅にて拝受出来ます。またお参りさせて頂きます❤
名前 |
竈神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
029-226-5896 |
住所 |
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評価 |
3.6 |
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大きい御立派な御神木が印象的な市内でも珍しい神社でした。御祭神奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)、中御方命(なかみかたのみこと)を祭神とする神社です。古くから水戸城内に三宝荒神として祀られていました(引用)