郡山城の石垣に隠れたお地蔵様。
逆さ地蔵の特徴
天守台の北側にある石垣の中にお地蔵様が隠れている場所です。
郡山城天守台跡周辺の歴史を感じられる貴重なスポットです。
その歴史的背景には豊臣秀長の築城が関わっているとのことです。
天守台の北側にあります。パンフレット「郡山城の石垣」によると、高さは110cm以上もあるそうです。この石仏は仏身が浮き彫りにされた面を下に向けて頭部が奥に沈むような角度で配石されていますが城内の他の石仏も同様の向きで用いられている場合が多いそうです。このやり方だと石が安定するからでしょうか?それにしても城址会館にある「天守台転用材位置図」を見ると、特に天守台に石仏や五輪塔などの転用石が実に多く使用されているのが分かります。これらを見ていると単に兵力や弓・鉄砲、城の縄張りなどの物理的な力だけでなく、石仏や五輪塔などが持つマジカルパワー、呪術的な力でも城を守ろうとしたのではないかと思えてきます(飽くまで個人の見解です)。
郡山山城天守台跡の北側の石垣にお地蔵様が使われているのを見る事ができます。逆さまになっておられます。
御城の中に❓️知りませんでした🙏とても辛い時期で拝ませて頂いてよかったです☺️ありがとう御座いました💫
かなり屈まないと見えないので無視して腰を痛めないように。
2021/06/26さかさ地蔵?探しました。どこだろう?5分ぐらい探しただろうか?写真ではハッキリ見えてるからそういうもんだと思っていたけど,違った。これは分かりにくい。
豊臣秀長の時代に大規模に築城されたという郡山城。築城を急ぐあまりに、石垣を築く際に容赦なく手当たり次第の石材〜転用石材といわれるものを積み込み石垣を築いたそうな。信仰の対象であったお地蔵さままで召し上げられ…しかしながら、このお地蔵さまの周囲は幾許かの空間を設け、逆さという向きであれ、せめても日の目を見ることが出来るよう、せめても誰かの目にとまり手を合わせることが出来るように…!そのように苦肉の策ともいえるように密やかに配した当時の信心〜意図が今日まで伝えられていること、感慨深い。薄暗い隙間を覗き込むように拝顔すると、お地蔵さまの愛しいお姿が見受けられました。合掌…!
戦国時代に大規模改修された際、付近にあった石材を手当たり次第に石垣や詰石として使用した中に、このお地蔵さまをはじめ墓石や付近の古墳の石材も多数含まれている。当時、築城を急がされた人々が、苦肉の策で転用したものと思われる。それだけ、切羽詰まった状況だったのだと、大変さが思い起こされる。このお地蔵さまは、当時の人々の信仰心や苦悩が、少しの隙間を開け、拝めるようにし、許しを請ったのだと思う。天守台の北側に鎮座されているので、訪れた際は、是非手を合わせていただきたい。
良く見つけたな~と思ってしまった。お地蔵さまの頭が奥の方に向かって逆さになっていますよ。
名前 |
逆さ地蔵 |
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ジャンル |
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住所 |
〒639-1011 奈良県大和郡山市城内町2−3 大和郡山城跡公園 |
HP |
https://www.city.yamatokoriyama.lg.jp/kanko_bunka_sports/kanko/meishoannai/6851.html |
評価 |
4.3 |
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とてもわかり易いと思いきや、じっくりしゃがんでみてみないとわからないです!