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この地蔵は明治38年(1905)、医師の吉原泰重郎とその妻多美子によって、例幣使街道と赤堀川の交わるところに祀られていたものである。道路の改修工事のために遷座されたときに埋もれたままになっていた地蔵が掘り起こされると、台座に「荒神橋」と彫られていたため子孫である野田家のもとに戻った。平成10年に徳性院の和尚を迎え、現在地に安置された。