スポンサードリンク
スポンサードリンク
名前 |
芝山古墳跡(説明板) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
2.0 |
この中規模の、豪族の墓であろう古墳は昭和37年の宅地開発で見事に完全破壊された。その痕跡を探そうにも何ひとつ残っていない。当時、遺跡保存に対する日本人の本質、基本的な考えは能天気と言おうか、あまり破壊に気を使っていなかったようだ。幕末の頃、歌人の伴林光平は大和河内の陵墓を訪ね歩くが、その時でさえ古墳は荒れ放題だったと「野山のなげき」に記している。天皇陵はかろうじて残るが、豪族たちの墓は1500年の時の流れ、自然破壊、田地や宅地開発そしてたび重なる盗掘などでほとんどが消滅してしまった。勾玉や玉、剣その他の副葬品も古代から行われた断続的な盗難によりほぼすべて散逸、行方不明になった。天皇陵や生駒山麓の古墳群も例外ではない。大阪造幣局の技師イギリス人ウィリアム•ガウランドが日本の古墳400以上を詳細調査、詳細記録をとったのは明治の初中期の頃だ。個人で壮大なる大調査を行った彼は、後年「日本考古学の父」と言われるようになる。その後、徐々に宮内庁は天皇陵の保存に力を注いでいく。そして日本人による日本の考古学も本格的に始まっていく。