こどもたちが遊ぶ神社の魅力。
天神社の特徴
子どもたちが遊べる広場があり、楽しそうに過ごしています。
地神荒神さまを祀る神社で、地域の信仰を感じられます。
観察することで神社の魅力を再発見できる場所です。
以下、観察情報を記す。1【幟立石 二基】境内入口にある。慶応四年銘。看板が括り付けられているため、右手のものは刻字が一部読むことができない(おそらく「當所講中」とある)。また、裏手にあるのは力石だろうか。2【石燈籠 二基】右手のものは安永四年銘。奉納は、側海斗村の西国講集団。願主筆頭として田嶋伊左衛門の名前を刻む。左手のものは文政八年銘。正面に「奉納」「月山 羽黒山 湯殿山」「西国 秩父 坂東」「諸願成就」とある。つまり、百ヶ所観音巡礼および出羽三山巡礼の達成記念碑的要素を持ったを石燈籠であることが分かる。願主は、武笠定右衛門。なお、近隣で出羽三山巡礼が行われたことを示す石造物は珍しい様に思う。3【手水石】寛政六年銘。正面には梅の社紋があり、天神社らしい。側面には、「助力 青銅一貫三百文 氏子中」とある。つまり、氏子が手水石の建設代金として1300文をカンパした、ということだろう。願主は田嶋團右衛門と藤原寳信。この二人の名前は、境内にある庚申塔の側面にも名前が刻まれていた。4【国旗掲揚塔】皇紀二千五百九十八年銘。皇紀表記のものは珍しい。「功烈不朽」と刻む。謹書は、マレーの虎こと山下奉文。5【鳥居】新明型鳥居。平成十七年銘。神額あり。正面に謹書者を刻む様だが、見えない。裏面に奉納日等を刻むようだが、こちらも見えない。6【参宮記念之碑】大正十年二月十五日に伊勢神宮で太々神楽を奉納したこと、また、当社に鳥居を奉納したことを記念している。ただ、鳥居は、先の通り、平成年間に建て替えられているので、このときに奉納されたものは現存しない様である。石工は田中義虎。伊勢講 講長として田島榮助と刻む。副講長は田中長太郎とあり。裏面に寄付者連名を刻み、寄付者筆頭は田島治郎吉及び武笠誠一となっている。7【日露役紀念碑】明治三十九年銘。石工は、志木上町の大嶌仁三郎。正面に漢籍碑文があり、撰文は三根昇一、謹書は田嶋周太郎とある。裏面に連名。寄付者筆頭は田島平蔵と田島治郎吉、兵事員筆頭は武笠庄太郎、補助者筆頭は鈴木闗五郎、世話人筆頭は田島喜一郎とあった。碑文の内容は、田島治郎吉他十一人が徴兵され、鐵嶺で馬を馳せ(遼陽会戦のことか)、樺太に船を進め(樺太の戦いのことか)、旅順攻略戦に参加したこと、あるいは白山下に長く駐屯した旨を刻む。また、「六師凱旋」とあるので、おそらく、残りの五人は帰還しなかったのだろう。8【境内合祀社】左から新明、地神荒、疱瘡、御嶽、阿夫利、三峯の六社。新明大権現は、1m程の長石が本尊となっている。地神荒、疱瘡、御嶽は石祠が本尊。地神荒と疱瘡の石祠は同形で、寛延二年銘。奉納者は、当時の村の人々とある。御嶽の石祠は「社司」と刻むのが見えるが、健之年月日は見当たらない。阿夫利、三峯は掛け軸が本尊となっている。9【稲荷社】内部に、伏見稲荷云々と書かれたハンカチの様なものが見える。【その他】自治会館落成記念碑。昭和五十四年銘。大宮市長の馬橋隆二が撰文したらしい。裏面に工事の概要を刻む。
| 名前 |
天神社 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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こどもたちが 遊んでいる神社です地神荒神さまが おりました。月山、羽黒山のものも ありました。