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大治3年(1128年)頃、紀伊国熊野那智山光明坊の僧侶・宥慶阿闍梨が関東下向の際に足立原に宿泊し、黒塚において旅人の肉を食う悪鬼(鬼婆)が住んでいることを聞き、法力によってその悪鬼を退治し、側に坊舎を立て東光坊と号した。草創当時は天台宗であり、「熊野の光明が東国に輝いた」ということから東光防の名が付けられた。その後、永享年間(1429〜1440年)に梁室元棟和尚が曹洞宗に改宗して中興。寛文年間(1661〜1672年)には、東光寺11世・鉄船大牛和尚が中山道沿いの現在地に伽藍を移して再興した。このことは、新編武蔵風土記稿にも記載がある。ちなみに、旧寺地の「黒塚」は、産業道路「大宮公園入口交差点」の東側で、現在は大黒院が建っているのだが、寺院として存続しているのかどうかは不明で、入口は常時施錠されている。