南側ルートからの安濃城跡探訪。
安濃城跡の特徴
南側と東側の2つのアプローチルートが存在し、アクセスが便利です。
標高59mの平山城跡には説明板が設置されていて、歴史を学べます。
美濃屋川に面した丘陵に築かれた伊勢国最大の平山城の魅力があります。
標高59mの平山城跡案内標識があって軽自動車なら神社前🅿️駐車場まで入ってこれた🛻主郭の神社⛩️には縄張図付き説明板もある👍️ナイスデスネ~(*^。^*)散歩がてらに歩くとぐるりと土塁♪に横堀♪裏側はチョイ竹多いケド➰金網で囲まれたモッコリ櫓台♪虎口♪は少し車道とずれてる東西450mの城跡には タッッップリ屋敷跡が残ってる👏パチパチ道路を越えても土塁♪ぐるりの曲輪がしっかり残ってた織田武将の滝川一益はこの城をおとせなかったラシイ🏹和睦した後の2度目は織田信包軍が落城させたんですと🔫かなり離れないと全体写真📷️が写らない デッカイお城でした ( ̄▽ ̄)b
安濃城跡伊勢国最大の平山城で美濃屋川に面した丘陵に築かれています。現在の城跡の主郭には阿由多神社が祀られており、櫓台跡があります。遺構として土塁や空堀が状態良く残っており、主郭から東南方向へ丘陵の削平地が伸びており土塁で囲まれた曲輪が点在しています。登城路は阿由多神社への参道が南から続いていて数分あれば案内板がある主郭に着きます。写真①は主郭(阿由多神社)東虎口※空堀と土塁で囲まれた主郭からの出入り口です。【歴史】伊勢国の国人領主長野氏の一族である細野藤敦が築城。藤敦は美里町にある細野城に居を構え、後に安濃城に移ったとされています。織田信長の伊勢侵攻の際に安濃城は落城せず、長野氏当主の長野藤具を追放し織田信長の弟信包が長野氏の養子に入ることで和睦します。しかしその後も藤敦は信包に抵抗を続け、天正年間に信包により再び攻められ落城。藤敦は落城後も秀吉などに仕えたそうです。【アクセス】南側参道付近に車が停められます。#お城 #城 #城跡 #城巡り #城好き#城好きな人と繋がりたい#三重県 #三重県の城 #三重県の城跡#津市 #安濃城 #安濃城跡。
鳥居から坂道を登ると主郭部だった神社にでます。主郭部廻りに土塁がありますが多くは木々のなかです。主郭から東側に割広な曲輪が複数ある丘城です。南側が急斜面になっているのが分かりました。
名前 |
安濃城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.5 |
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駐車場に車を止めて南側から徒歩で階段を登って行くルートと東側から細い道を車で上がって行くルートがあります。雰囲気があるのはもちろん徒歩の方。頂上は阿由多神社になってます。