静かな高城川合戦の地で、心落ち着くひとときを。
宗麟原供養塔の特徴
高城川の戦いに関する歴史を感じられる場所です。
島津氏が建立した六地蔵塔が特徴的です。
清々しく心落ち着く環境が整備されています。
高城川の戦いの際、大友宗麟はここまできておらず、延岡市無鹿町に本陣を置いていたそうです。南へ数100m行くと土塁のような形状がありました。位置的に松山塁かと思いましたが明示されておらず定かでありません。
昭和8年に国指定になっていました。古き史跡です。公衆トイレあります。
草刈りがしてありきれいに管理されてました。枇杷の木はなかった。😭
清々しい、心落ち着く場所です。
島津氏と大友氏の戦における死者を弔うため、島津氏が建てた六地蔵塔があります(それにしても島津氏は六地蔵塔が好きで、島津分家の墓地で六地蔵塔を多く見かけます)。そこそこ広めの駐車場があるので、訪問しやすいです。
あまり訪れる人はいませんが、割りと綺麗に整備されています。
2019年GWに訪問けっこうな雨の中、同好の士と少し話ができましたなんかもうすごい立派な道がついてるのよね耳川の戦い合戦場跡あたりにカーナビをセットして、あとは目視でたどり着けました静かな場所です。
耳川の戦いの供養塔。
名前 |
宗麟原供養塔 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0983-27-8020 |
住所 |
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HP |
http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/mch/details/view/1846 |
評価 |
4.0 |
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高城川合戦古戦場跡からループ橋のような道を通って台地の上の宗麟原供養塔に来ました。その道の一角をなす橋では、偶然アクロバティックな点検作業を行っていましたので、思わず写真を撮ってしまいました。尚、途中にあると思われる大友氏本陣跡は場所が分からず諦めました。ここ供養塔には駐車スペース・公衆トイレがあります。さて、ここは宗麟原供養塔といいますが、宗麟自身はここまで出陣したわけではありません。宗麟は臼杵から船で出陣しましたが、それは今の延岡辺りにキリスト教の聖地(ムジカ)を建設するためでした。島津との決戦は総大将田原紹忍はじめ佐伯惟教(宗天)、田北鎮周らに任せ切りだったのでした。この供養塔は、合戦の7年後[1585(天正13)年]島津の武将で高城城将の山田新介有信が大友軍の戦死者を供養するために建てたものです。