歴史薫る川沿いの大谷石山門。
海潮寺(曹洞宗 梵音山 真岡院 海潮寺)の特徴
県指定文化財の大谷石瓦葺の珍しい山門があるお寺です。
歴史を感じさせる曹洞宗の寺院で、行屋川にも近いです。
春には美しい桜が見られ、訪れる価値のあるスポットです。
真岡城跡のすぐ南方で行屋川を臨む梵音山海潮寺(かいちょうじ、栃木県真岡市田町)は瓦に地元産大谷石を使った珍しい山門を有し県指定文化財となっています。桜の木と山門のコラボが良い感じです。
歴史ありそうなお寺です。
赤い橋を渡ると案内板とともに大きな山門あり。芳賀氏の菩提寺。龍の彫刻が美しい。
おおっ、👀あれは⁉️田町通り(県道45号線)から大内写真館で右折し、行屋川にかかる橋を渡ると、大谷石瓦葺(かわらぶき)が印象深い「山門(楼門)」(栃木県指定重要文化財)が迎えてくれる、曹洞宗の「梵音山真寺海潮寺」が正式名称。2021年9月20日(月)に真岡市の街歩きで訪れた。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆「とちぎ旅ネット」のホームページには、以下のように紹介されている。『室町時代からの芳賀氏の菩提寺。主家である宇都宮氏が改易されたため、芳賀氏も所領没収となり、海潮寺は庇護者を失ました。一時衰退しましたが、江戸三代将軍徳川家光より20石の朱印状を受け取ることとなりました。境内にある山門は文化3年(1806年)に建立された古建築物で三間三戸の八脚楼門、入母屋、大谷石瓦葺で、特に大谷石の瓦で葺かれた屋根は類例が少なく貴重な存在として栃木県指定重要文化財に指定されています。』★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★入り口の案内板には、以下のように記されている。『海潮寺 真岡市田町曹洞宗で梵音山真寺と称し、本尊は十一面観音である。開山には宇都宮成高寺四世 (実質は二世)の天英祥貞が招かれて、実際の運営に当たったのは久室栄昌大和尚であったとされる。創建は永正七年(1510)頃で、建立した場所は大田和村吹上(現在の真岡市堀内)で、寺名を宝珠庵という。大永年代(1521~27)の初めに現在地に移転し、寺名も海に改められた。海潮寺成立以降、芳賀氏の菩提寺として保護を受けていたが、慶長二年(1597) 豊臣秀吉に芳賀氏の所領が没収され、 御家再興を願い羽黒山(出羽神社)を頼り離散、その保護者を失った。しかし、慶安元年(1646)に将軍家光より、朱印字として二〇石の寺領を認められ、また寛文十一年(1671)には稲葉正則 (老中)からも寺領四石を免税地として認められている。当寺には、県指定文化財、絹本著色芳賀揮可人道高名像、海潮寺文書(十四通)そして屋根瓦に大谷石を用いた特色ある山門がある。また、竹垣君政碑と御霊屋が真岡市指定文化財となっている。真岡市観光協会』▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼海潮寺の文化財・ 海潮寺山門(楼門)-文化3年-栃木県指定重要文化財・ 芳賀禅可入道高名像-室町,縦61.5㎝,横34.5㎝-栃木県指定重要文化財・ 海潮寺文書-室町時代(芳賀氏関係が多い)-栃木県指定重要文化財・ 海潮寺御霊屋-文化年間(1804~1818)-真岡市指定有形文化財・ 竹垣君徳政碑-真岡代官竹垣直温の徳を讃えた石碑-真岡市指定文化財。
曹洞宗です。副住職のお経は心地良いです♪
歴史を感じさせる寺です。癒されます。
行屋川と海潮寺。桜に始まり桜で終わる。それほど桜が似合う場所はありません。私の家から真西に当たります。
市内病院に入院後にたちより。全快祈願にしたためたお経の納経を断られました。
真岡駅から歩いて10分程、川沿いの山門が良いです。
名前 |
海潮寺(曹洞宗 梵音山 真岡院 海潮寺) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0285-82-2660 |
住所 |
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評価 |
3.3 |
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室町時代後期の永正7年(1510)、久室栄昌大和尚が尽力し天英祥貞(成高寺4世:宇都宮市塙田)が開山したと伝えられている曹洞宗の寺院です。海潮寺は創建以来、当地を支配していた芳賀氏代々の菩提寺として庇護されていましが、慶長2年(1597)、主家である宇都宮城の城主宇都宮氏が秀吉に改易され、芳賀氏も連座し所領没収となりました。海潮寺は庇護者を失い一時衰退しますが、江戸時代に入ると幕府から庇護され慶安元年(1646)三代将軍徳川家光から20石の朱印状を受け取り、寛文11年(1671)には真岡藩主稲葉正則も寺領4石を安堵しています。海潮寺境内正面にある山門は文化3年(1806)に建立されたもので三間三戸、八脚楼門、入母屋、大谷石瓦葺、桁行6.59m、梁間3.86m、2重垂木、二手先組、高欄、花頭窓、木鼻には獅子、漠の彫刻が施され、特に大谷石の瓦で葺かれた屋根は類例が少なく貴重な存在として昭和48年(1973)に栃木県指定有形文化財に指定されています。