長篠城跡の武士の水盃。
大通寺の特徴
歴史ある曹洞宗の寺院として、長篠城攻略戦の重要な舞台です。
武田軍の武将たちが別れの水杯を酌み交わした、大通寺の泉のほとり。
今、花がきれいに咲く境内で、ウォーキングにも最適なスポットです。
長篠城跡から医王寺へのウォーキングで立ち寄りました。
歴史的な由緒のあるお寺であり、札所にもなっていますが、現状は無住寺院の状態です。
信長到着の報を受けた武田陣営では直ちに軍議が開かれた。信玄時代からの重鎮たち、特に後代に武田四名臣といわれる山県昌景、馬場信春、内藤昌秀らは信長自らの出陣を知って撤退を進言したと言われているが、勝頼は決戦を行うことを決定する。そして長篠城の牽制に3,000ほどを置き、残り12,000を設楽原に向けた。これに対し、信玄以来の古くからの重臣たちは敗戦を予感し、死を覚悟して一同集まり酒(水盃)を飲んで決別した。
長篠城の近くにある曹洞宗のお寺です。応永18年(1411年)に創建されたと伝えられています。長篠城攻防戦の時には武田軍の馬場信春や武田信豊などの陣地になりました。織田・徳川連合軍の来訪を受けて武田勝頼は重臣達の諌めを聞かずに設楽原に向かいます。死を覚悟した馬場信春、山縣昌景、内藤昌豊、土屋昌次は、決戦前夜に本堂の裏手にある井戸で水杯を交わしたと言われています。
長篠城攻略戦から設楽原の合戦に赴く武田軍の馬場信房、山県昌景、内藤昌豊、土屋昌次らが水盃を交わしたとされるお寺。
大通寺の泉のほとりで馬場信房、山県昌景、内藤昌豊、土屋昌次の4人はこれが最後と別れの水杯を酌み交わした。
名前 |
大通寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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今花がきれいに咲いています。