東別院の石碑で信長探訪。
古渡城跡の特徴
織田信長が元服した古渡城跡があります。
東別院の境内にひっそりと佇む石碑が魅力です。
麒麟がくるで紹介された歴史ある名所です。
東別院の敷地内にぽつりと石碑があります。お寺の敷地内だからか、やはり少し厳かな雰囲気が漂っています。春に訪れましたが、桜が綺麗だった…!織田信秀が天文3年(1534)に築城。それまで住んでいた那古野城を息子の信長に譲り、こちらに引っ越してきた。天文16年(1546)には、このお城で信長の元服の儀を行ったそうな。天文17年(1547)に信秀が末森城に移ったことにより、廃城となる。
古渡城址碑(/≧◇≦\)
織田信長が元服(1546年)した城として知られています。1534年、織田信秀(信長の父)が、今川家や岡崎城主・松平清康からの反撃に備えて、築城したのが古渡城となります。信秀は今川氏豊から奪った那古野城を、吉法師(織田信長)に譲り、この城を拠点としました。四方を二重の堀で囲んでいたと言います。1548年に、織田信秀が美濃へ出陣し、その隙きを突いて坂井大膳らが古渡城を攻撃しました。城下町は消失するも、古渡城は落ちなかったようです。しかし、1548年、織田信秀は末森城を築くと、新たな居城としました。古渡城はわずか14年で廃城となっています。東本願寺名古屋別院の境内に、古渡城跡碑が建っています。境内に入ると左手にあります。別院に隣接した下茶屋公園は、古渡城の堀跡であったとされます。
東本願寺のお寺の境内の中にあります。遺構は残っていませんが、このお寺自体がほぼお城だとすると、平城の雰囲気はあります。
今の大河ドラマにも度々出てくる古渡城跡ですが、こちらには境内の隅に立て札があるだけです。ちょっと離れたところに庭園跡もあります。そちらのほうが見応えはあるでしょう。
古渡城は信長の父、織田信秀によって1542年に築城されました。城は南北100mの平城で、二重の堀があったそうです。その後、信秀は末盛城へ拠点を移したため、古渡城は廃城になりました。現在は、東別院内の片隅に石碑が建てられいます。織田家の歴史には欠かせないお城です。信長ファンは是非、足を運んでみてください😊無料駐車場、福祉車両用の駐車場、トイレもあります。東別院内に記念碑があるので、併せて東別院に参拝するのもオススメです!
2020.02.25訪問古渡城は織田信長の父、織田信秀により信長の生まれた年に築城、元服(13歳)した城と云われていますので信長が少年時代を過ごした城です。今は信長が忌み嫌ってさんざんに痛めつけた本願寺(お東)の別院が建っているのは皮肉ですね。
以前「麒麟がくる紀行」で紹介されていました。 天文13~15年頃、信秀は信長に那古野城を譲って、こちらに居城を移しました。商業都市である熱田を掌握するためと考えられています。地形からみると、平城だったようですね。
古渡城跡織田信長の父信秀の居城として熱田の北側の熱田台地に築かれました。現在は真宗大谷派名古屋別院(東別院)になっています。正面の門から入って左側に城跡の碑が建っています。
名前 |
古渡城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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東別院の一角にひっそりと佇む石碑があります。この地は信長の父、織田信秀が古渡城を築城した場所。古渡城を廃城した跡地に東別院が建てられました。この古渡城で13歳の信長は元服式を挙げたと伝えられています。