織田信長の少年時代、古渡城跡。
古渡城跡の特徴
織田信長が元服した古渡城跡があります。
東別院の境内にひっそりと佇む石碑が魅力です。
麒麟がくるで紹介された歴史ある名所です。
織田信長の居城跡。真宗大谷派名古屋別院の境内にあります。奥に進むと明治天皇名古屋大本営碑などありました。
東別院の一角にひっそりと佇む石碑があります。この地は信長の父、織田信秀が古渡城を築城した場所。古渡城を廃城した跡地に東別院が建てられました。この古渡城で13歳の信長は元服式を挙げたと伝えられています。
東別院の敷地内にぽつりと石碑があります。お寺の敷地内だからか、やはり少し厳かな雰囲気が漂っています。春に訪れましたが、桜が綺麗だった…!織田信秀が天文3年(1534)に築城。それまで住んでいた那古野城を息子の信長に譲り、こちらに引っ越してきた。天文16年(1546)には、このお城で信長の元服の儀を行ったそうな。天文17年(1547)に信秀が末森城に移ったことにより、廃城となる。
古渡城址碑(/≧◇≦\)
織田信長が元服(1546年)した城として知られています。1534年、織田信秀(信長の父)が、今川家や岡崎城主・松平清康からの反撃に備えて、築城したのが古渡城となります。信秀は今川氏豊から奪った那古野城を、吉法師(織田信長)に譲り、この城を拠点としました。四方を二重の堀で囲んでいたと言います。1548年に、織田信秀が美濃へ出陣し、その隙きを突いて坂井大膳らが古渡城を攻撃しました。城下町は消失するも、古渡城は落ちなかったようです。しかし、1548年、織田信秀は末森城を築くと、新たな居城としました。古渡城はわずか14年で廃城となっています。東本願寺名古屋別院の境内に、古渡城跡碑が建っています。境内に入ると左手にあります。別院に隣接した下茶屋公園は、古渡城の堀跡であったとされます。
東本願寺のお寺の境内の中にあります。遺構は残っていませんが、このお寺自体がほぼお城だとすると、平城の雰囲気はあります。
今の大河ドラマにも度々出てくる古渡城跡ですが、こちらには境内の隅に立て札があるだけです。ちょっと離れたところに庭園跡もあります。そちらのほうが見応えはあるでしょう。
古渡城は信長の父、織田信秀によって1542年に築城されました。城は南北100mの平城で、二重の堀があったそうです。その後、信秀は末盛城へ拠点を移したため、古渡城は廃城になりました。現在は、東別院内の片隅に石碑が建てられいます。織田家の歴史には欠かせないお城です。信長ファンは是非、足を運んでみてください😊無料駐車場、福祉車両用の駐車場、トイレもあります。東別院内に記念碑があるので、併せて東別院に参拝するのもオススメです!
2020.02.25訪問古渡城は織田信長の父、織田信秀により信長の生まれた年に築城、元服(13歳)した城と云われていますので信長が少年時代を過ごした城です。今は信長が忌み嫌ってさんざんに痛めつけた本願寺(お東)の別院が建っているのは皮肉ですね。
| 名前 |
古渡城跡 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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ふるわたりじょうと読む。現在は東本願寺名古屋別院内に案内看板がある。正面から入って左側にある。