古処山の神秘、登る価値あり!
古処山城跡の特徴
古処山の山頂860mからの絶景は一見の価値があります。
ツゲの原生林と岩場が織りなす神秘的なハイキング体験が魅力です。
歴史を感じさせる場所で、新しい発見が待っています。
嘉穂アルプスに連なる古処山853mの山頂付近にあります。堀切や曲輪と思われる跡があり、大将隠し、奥の院といった巨石の見どころがあります。遊人の杜キャンプ場520mから古処山を目指し、隣の屛山926mの城跡にも足を伸ばして、戻って古処山頂手前から奥の院下を通ってキャンプ場に下るルートを取りました。感想は脚に自信がない方には余りオススメできません。上り以上に奥の院下からキャンプ場へのルートは急な下り続きで、途中で脚の踏ん張りが効かなくなり往生しました。ロープや鎖に頼らないと下れない坂多数です。なお、北九州市方面からグーグルで遊人の杜キャンプ場を目指しましたが馬見神社の先の林道がキャンプ場方向に通行止めでした。地元の方に先導してもらって(感謝)322号線に戻り、嘉穂総合運動公園の先から山道に入ってキャンプ場に辿り着きました。キャンプ場の直下に駐車場があり、トイレもお借りできました。
古処山キャンプ場より屏山を経由して古処山山頂を目指しました。YAMAPのルート履歴から総距離約6.0km、上昇下降距離530m。2時間30分の行程でした。ゆっくりの方ならプラス1時間程度見ておいたほうが良いと思います。あと途中で間違えやすいのが案内標識で、戻ってくる方向は古処山キャンプ場ないし遊人の杜です。他の方角にもルートがありますのでご注意ください。
秋月登山口から登りましたが、結構にきつかった~川横の登山道は壊れるのでつらいですね。でも頂上は広くて気持ち良かったですよ。私の足で2時間以上掛かってしまいました。
自然に恵まれ神秘的でハイキングによく景色ががとてもいいから。
2015年5月27日登拝。山頂に白山宮の上宮があります。岩に『南無妙法蓮華経』『古処大神』と彫られていました。石灰岩(カルスト)のこの山は、白山権現をまつるところからも、白山ともいわれています。山頂には、9世紀ごろから修験道の霊場が開かれ、13世紀のはじめから約400年間は、領主秋月氏の山城がありました。大将隠しや奥の院、馬攻め場、水船などんみ往時がしのばれます。古くから厳しく守られてきた豊富な植物と史跡の混在が古処山の特徴です。まるで庭園のような居心地の良い山頂でした。
古処山山頂860m山頂付近が少し平らな所が本丸だと思います。山頂の岩の上からは、うきは市、久留米市の筑後川沿いと嘉麻市、飯塚市方向がバッチリ見れますが、私が登った時は少しガスってました…山頂の下に曲輪跡らしき場所がありますが、説明板やはっきりした遺構が見つけにくいです💦自然の要害で、大きな岩や石で囲まれた場所です。
20年8月に3度目で登頂成功。1度目は大雨の影響で登山道が、滝の様相で無念の撤退。2度目は古処山駐車場から登山道へ向かう途中で膝に違和感で撤退。3度目でようやく登頂成功。古処山林道側は、大雨の影響で、登山道が至る所で崩壊してました。復旧には時間かかりそうですね。古処山へは別ルートをお勧めしますよ。山頂は、ツゲの原生林が茂っており登山道が分かりにくい印象です。他の山への縦走の際はご注意下さいね。しかし、山頂からの眺めはとても綺麗で印象深いです。屛山への縦走の際、殿隠しや、奥の院等の表示がありましたが、道が分からずそのまま屛山ピストンで下山。
私の求める物はありませんでした。ひたすら登山です。
最高。・・・だけど今は登山道が閉鎖中。
名前 |
古処山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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大蔵党一族の一つ秋月氏の居城です。建仁3年1203年に原田種雄が築城したとされます。しかし平時は麓の杉本城今で言う秋月城(秋月陣屋)付近にあったとされますが、発掘調査では遺構は確認されず、正確な所在地は分かっていません、弘治3年1557年に秋月文種が大友義鎮(大友宗麟)の攻撃を受け、古処山城は落城、嫡男晴種とともに討死しましたが、次男秋月種実他弟たちは中国地方の毛利元就を頼り、落ち延びて数年後に城を取り戻して、島津氏に属して最終的に12郡36万石の大名となり、秋月氏最盛期を築き上げました。しかし天正15年1587年に豊臣秀吉の九州征伐で敗れ、日向高鍋(宮崎県高鍋市)に移封され、これと同時期に古処山城は廃城となり約300年歴史に幕を閉じました。元和9年1623年に黒田氏が秋月五万石を所領して、古処山城の麓の秋月城(秋月陣屋)を築城しました。なお秋月城にある黒門は古処山城の搦手門を移築したという伝承がありますが江戸時代前期の建築と考えられています。