歴史を感じる、大物主神の神社。
金刀比羅神社の特徴
獅子頭のマンホールが目印の神社です。
崇徳天皇を祀る数少ない神社の一つです。
国道355号線近く、アクセスが便利な立地です。
摂社、末社のお社が荒れ果てています。本殿横の錨は何なのでしょうか?駐車場あります。
神職さんが元気なさすぎで心配になりました。社務所もゴミ屋敷化してきてるし、正直、御朱印をいただくのもためらいましたが、御朱印は丁寧に対応していただきました。
石岡の街中にあり隣接して駐車場もあります。左よりから鳥居を見ると右奥に筑波山がみえます。規模は小さいですが御籤(100円)もあります。
大きな鳥居のこじんまりしたお社常陸國總社宮から歩いたが...またマップにやられた。
駐車場から違和感がありました。鳥居や社殿立派です。でも、荒れ放題。社務所は、元々は立派だったのではないでしょうか。でも、ドアが開いていて中に入ると強盗が入ったのか廃墟なのかゴミが散らかり放題。御札が欲しかったので、声を掛けてみたのですが、応答無し。やっぱり、廃墟なのだと思ってて帰ろうとしたら、ようやく、ジャージ姿のおじさんが登場して、ぐちゃぐちゃになっている御札の中から一つ選んで買って帰りました。管理が出来ていない。神様をちゃんとお祀りして欲しい。
常陸総社宮に向かう前に拝みに行かせてもらい御朱印を書いていただいた。そばの清涼寺御朱印無し。
引越されたのか、社務所も閉まってました。
石岡の街中にあるのに、手入れがされていない。
御祭神は大物主神。相殿神として崇徳天皇・経津主命。当地の古称は「森」(森木・守木)と呼ばれ,古代より神木祭祀の御神域であり,平安時代に桓武天皇の曾孫平高望王が常陸大掾として国府に着任すると,代々の平氏の子女が祭主となって森の祭祀に奉仕しました。当時は「大森太明神」と尊称され,森木寺や八大院という 別当寺を有していたそうです。天正18(1590)に,府中城が佐竹義宣に攻められ常陸大掾氏は滅亡し森は壊滅。その後,大掾氏の後裔である別当八大院によって復興。江戸時代になると,府中藩主松平氏の庇護を受け,いつの頃からか「金毘羅大権現」と称されるようになり「笠間の稲荷か石岡の金毘羅さまか」と謳われたほどの賑わう社となったそうで,文政10(1827)年には改めて讃岐国の金刀比羅神社の御分霊を迎えて社殿造営。明治3年には「府中森金毘羅大権現」を「石岡森金刀比羅神社」と改称。明治39年に市内茨城カンドリ(香取)鎮座の香取神社を合併。明治11年,昭和4年,平成11年の火災による焼失・再建を繰り返し,現在の社殿は平成19年造営のものだそうです。場所は,常陸國總社宮から東へ400メートルほど,旧・水戸街道(国道355号線)の守木町(中町)商店街沿いに大鳥居と,隣には約30台分の大駐車場,その奥に優美なる社殿が鎮座していらっしゃいます。常陸國總社宮と並ぶ重要な社であります。
名前 |
金刀比羅神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0299-22-2813 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.6 |
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入口に獅子頭のマンホールがありました。