薩摩藩士の感謝が息づく史跡。
大巻薩摩工事役館跡 (平田靱負翁終焉地)の特徴
薩摩藩士に感謝の思いを込めた地域の歴史的な場所です。
平田靱負が自刃した重要な史跡で、治水工事の記憶が残ります。
沢山の犠牲者を悼む慰霊碑があり、地域の歴史を感じられます。
薩摩の義士、平田家老への感謝を受け継いでいるこの地方の気持ちが伝わります。桜島のプレートには胸が熱くなります。キレイにお掃除もされ、駐車場も完備です。また訪れたいです。
265年前木曽三川治水工事の、為の事務所(役館跡)です、平田靱負、自刃した場所です。
地域の方々が、いかに薩摩藩士に感謝されておられるかがよくわかりました。
歴史的、価値が有るから。
遠く鹿児島からこの地へは、島津藩の財政の弱体化をするのが幕府の狙い。これを拒否等すれば謀反で島津藩は潰されるので、否応なしに承諾しなければならない。幕府自身も財政難に来ている時に謀反は求心力の低下にもなる、その前に疑わしい所は候補に上がる。親徳川派も倒幕派に変わって行った。でもこの工事🚧のお陰様で河川周辺にとっては宝物同然ではないでしょうか。このお礼が今でも薩摩義士のお墓や役館跡と共に丁重に保護されているのでしょう。
河川氾濫を防ぐために薩摩から来て工事をしたのですが、沢山の人が疫病にかかったり亡くなられた慰霊碑がありました。病死された方の名前など表記されてあったりで、当事どれ程大変だったかがわかりました。
駐車場、WC、説明文や地元の人が丁重に管理されていることがわかる史跡です。岐阜県指定になっています。写真を写して養老町国際学習館(養老町高田409-4)のカウンターで提示すると文化遺産カードがいただけました。
歴史ある場所、治水の礎を命を掛けて、薩摩潘と薩摩の人、この地域を守る。漢だなぁ~。恋姫山の伝承話へ結びつく。
宝暦治水の際に薩摩役館があった場所で多大な犠牲者を出した責任を取って平田靱負はこの土地で自刃した。道中何箇所かに道案内の看板はあるがわかりにくい。
| 名前 |
大巻薩摩工事役館跡 (平田靱負翁終焉地) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
058-272-1111 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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江戸時代の初期、徳川幕府は大坂城の再建を全国の大名に命じました。この事業は「元和・寛永の大坂城修築」と呼ばれ、特に1615年の大坂夏の陣で焼失した城の再構築が目的でした。薩摩藩は西国の有力大名として、この大工事に動員され、石垣や堀の整備など重要な役割を担いました。大巻薩摩工事役館跡は、その際に薩摩藩の工事責任者が駐在し、作業を管理した拠点と考えられています。当時、薩摩藩は遠方から資材や労働力を運び込む必要があり、役館は現地での指揮系統を維持するための重要な施設でした。この遺跡は、幕府による全国的な動員体制や、地方大名の負担を物語る歴史的証拠として価値があります。