江ノ島の歴史を感じる、初め弁天社の旅。
はじめ弁天の特徴
江ノ島見物の旅人が訪れた歴史ある弁天社です。
朝夷奈切通を経て初めてお参りできる場所です。
天園へ続くハイキングコースの起点として人気です。
江戸時代に、江ノ島見物に訪れた旅人は、金沢(横浜)から朝夷奈切通を経て、江ノ島の弁天様へ向かう道すがら、この尾根道にあるこの弁天社を最初にお参りしたことからこの弁天社を「初め弁天」と言われるようになったとか・・・。天園ハイキングコースの細い道を歩いた先に大きく開け、そして鳥居が構えている。少し不思議な空間でした。
101-1.初め弁天社(明王院 五大堂 から天園へ)天園へ上るハイキングコースは、幾つかあります。その一つに、金沢道沿いの十二所にある明王院(四代将軍九条頼経が建立で、茅葺きのお堂がある静かなお寺です)の東脇から上るルートがあり、その山道沿いに、「初め弁天社」・「伝 大江広元の墓」があります。ルート:明王院入口の山門前を道なりに右カーブして行き、すぐに左手にある細い道に入り進ます。まもなく左側に、山へと続く階段があり、この道に進んで登って行きます。階段を登らずに真っ直ぐ進むと民家で、行き止まりになってしまうので注意です。山道に入るといきなり急な登りになります。強引に急斜面に付けられた道のようで古道の雰囲気は殆どありません。両側を笹に囲まれた道を進んで行くと、古そうな尾根道が現れます。この尾根道を天園方面(右側)と進みます。尾根上は歩きやすい道で、やがて、左上に鳥居が見え、その奥に石祠の弁天社があり、七福神の弁財天(弁才天)が祀られています。・江戸時代には、江戸から江ノ島見物に訪れた旅人は、金沢八景から朝夷奈切通を経て、この尾根道にある弁天社をお参りした。江ノ島の弁天様をお参りする前に、ここの弁天社をお参りするので、「初め弁天」と言われたとのことです。江島神社 は、『吾妻鏡』によれば、「寿永元年(1182年)、源頼朝の命により文覚が江の島の岩屋に弁財天を勧請した」とあり、これをもって創建とすることもある。弁財天は、歴代の鎌倉幕府将軍・執権や、代々の領主から崇敬を受けた。江戸時代には弁才天信仰が盛んになり、多くの庶民が参詣するようになった。参拝後、弁天社から更に尾根を上っていきます。「初め弁天」の右側の道は私有地につき通行禁止になっているので左側の道を進みます。少し行くと分れ道になっており、左の道を登ります。「大江広元の墓」と伝えられている石造多重塔に着きます。自分の屋敷跡を見下ろすかの様に佇んでいます。さて、「大江広元の墓」ですが、江戸時代の後期に、長州藩・毛利家の家老が、毛利家の先祖様と言う事で、大江広元の墓を探しに鎌倉にやって来たそうですが、余りにも威張り散らす役人がいたそうです。そのため、怒った村民は、この大江広元の墓の場所を教えなったとされ、その結果、長州藩は、源頼朝の墓の東側で北条義時法華堂跡の奥上に、大江広元の墓所を作ったとされています。明王院からここまで、ゆっくり歩いて約20分もあればたどり着けると思います。帰りは、下り坂なので楽ですが、足元に注意して降りて下さい。
名前 |
はじめ弁天 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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大事に手入れされて残っているのがわかります。鎌倉のハイキングコースが楽しいのは、こんな出会いがあるから。