有賀城跡で歴史探訪!
有賀城の特徴
有賀城跡は高遠へ向かう峠道を見渡せる山の中に位置しています。
整備された登山道から土塁や曲輪の跡を見ることができます。
諏訪湖が望める広い場所があり、お城好きにはたまらない魅力です。
有賀城(925m/100m)別名:天狗山城遺構:土塁,郭,堀城主:有賀氏,原虎胤,千野靭負尉,千野氏歴史:築城年代は定かではないが承久年間(1219年〜1222年)有賀次郎によって築かれたと云われる。 有賀氏は信濃国諏訪郡有賀発祥で諏訪一族といわれる。天文11年(1542年)高遠頼継が挙兵したときには武田氏に味方したが、天文15年(1546年)有賀泰時は木曽義昌に通じて武田氏に滅ぼされ、原虎胤が城主となり、天文18年(1549年)には千野靭負尉が城主となった。慶長6年(1601年)諏訪頼水が高島の領主となると、千野丹波守房清が城主となった。説明:城は諏訪から上伊那に抜ける有賀峠の入口に築かれている。 千野氏の菩提寺である江音寺が北麓にあり、千野氏の墓所と畑となっているが千野丹波守の館跡といわれる丹波屋敷跡がある。城は北にのびる尾根の中腹に主郭を置き、南背後は大空堀で断ち切って、北尾根に小曲輪を段々に配している。主郭背後は高土塁で低部に石積があるが、これは主郭に奉られている秋葉大権現の名残と考えられている。決して大きなお城ではないが、主郭背後の堀切や竪堀、曲輪に残る土塁など見ごたえ十分なお城である。案内:江音寺の南側と県道50号線沿いに冠木門があり登り口があるが、それに築かず北尾根沿い(おそらく大手)を登った。
2018/8/10とてもよく整備され攻めやすい。堀や土塁もよく遺っており、主郭からは諏訪の街が良く見渡せる。
有賀城址。車は江音寺に止めさせていただく、城址一帯はこちらのお寺の土地のようだ。お寺の裏手に入ってゆくと城址への入口(城址北側)があるがこちらは急坂、さらに南西へ細い道を行き県道50号線に出て進むと有賀城跡という看板と立派な木の門があり、こちらの方が坂は緩い。15分ほどの山道歩きだが、落ち葉が深くやや道の整備も甘いのでトレッキングシューズとトレッキングポールがあると心強い。念のために熊対策を。
有賀城は、郭が楽しい山城た。土塁、空堀、腰郭、主郭、等。
江音寺のお墓のところに案内板と登城口があります。
高遠へ向かう峠道を扼する山城で有賀氏が築いたとされる。千野氏の館が置かれた丹波屋敷に隣接する江音寺の墓地から登山道がついている。少し急な山道で木製の階段は朽ちてわかりづらくなっていた。登り切ると段郭が連なり竪堀が現れる。遺構にはそれぞれ案内板があって親切だった。主郭の土塁と背後の堀切の大きさは見事で背後の尾根にも連続する堀切がある。諏訪湖の眺望が美しい城でもある。
岡谷市、岡谷駅から徒歩🚶片道約1時間30分、車🚙なら片道約10分で行く城跡🏯、有賀城、山の中にあり、登山をして、ようやく舘があったと思われる広い場所へ到着しました、土塁、堀、曲輪、副郭、虎口の跡がのこっています、説明板と城の名前が書いてある木の立て札が、あります、舘があったと思われる広い場所から、諏訪湖がいちぼう、できます、とても、きれいですが、そこまで、行くのに大変でした、車🚙なら岡谷駅から10分で、到着しますが、僕みたいに、徒歩🚶の人は、必ずスポーツドリンクを2本持っていきましょう、有賀城跡入口に付いても、そこから登山をしなければなりませんので、しかしお城好きの人は、ぜひ行ってみて下さい、城主は、諏訪氏の家臣、有賀氏だそうです、東京都の八王子城跡のよう、のこしておきたい山城です。
城跡巡りが好きな人は多いですね。景観が良かったです。
梅雨時期、雨降りに登城。お墓に説明板ある。遺構が良く残る♪曲輪の片側の土塁が高いタイプ。
| 名前 |
有賀城 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://jyokakuzukan.la.coocan.jp/016nagano/049aruga/aruga.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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有賀氏の居城。登り口は県道50号沿いにあり、その周辺だけ路側帯がやや広いので車もここに停められる。公共交通だと「中央道有賀」バス停があるのだが、この方法で訪れる猛者は果たしているのやら(^^;城は土塁と遺構なのかあやしい石積みのある1郭と、そこから北麓へと階段状に格下の曲輪が連なっている。最大の見どころはやはり主郭背後の大堀切!このあたりにある山城の堀切よりも格段に深く広いぞ。諏訪方面に行くならぜひここは「推し」ですw