空堀と大堀切、魅力的な根本城。
根本城跡の特徴
標高285mの根本城跡は中世山城の特徴が色濃く残る場所です。
大堀切や土塁などの遺構が見事で、歴史を感じる体験ができます。
地域の方が整備した道中は楽しく、訪れる価値が十分にあります。
多治見市指定史跡根本城跡標高285m(比高80m)の城山にあり堀切や土塁、空堀など中世山城の典型的な遺構が残されています。主郭からは多治見市内が一望でき眺望も良いです。【歴史】天文年間末から天正年間初頭にかけて、武田氏が東濃へ侵攻した際に武田氏の一族若尾氏が根本に拠点の砦を築いたとされます。天正十年(1582年)織田信長の死後、若尾甚正は兼山城主森長可に従い、大原・根本・小木の所領を安堵された。天正十二年(1584年)若尾甚九郎元美は、小牧長久手合戦にて森長可に従って参戦したが戦死。【アクセス】城山東の市道に面して説明板が建てられた登城口があります。#お城 #城 #山城 #城跡 #岐阜県#城巡り #多治見市 #根本城。
道中は大変でしたが、地域の方がよく整備されていたと思います。楽しく見学させていただきました。
主郭と二郭の間に作られた大堀切が見事。他には竪堀なども見られる。途中の道は、長くはないもののかなり急。
登山道が整備されていないので城跡まで行くのがが大変。山頂には堀切がわずかに確認できる程度…
根本城(ねもとじょう)は現在の岐阜県多治見市に存在した日本の城(山城)である。標高285mの山の山頂に位置する。若尾氏の本貫は甲斐国若尾村(現在の山梨県韮崎市大草町)で、若尾甚兵衛を祖とする。武田氏の一族でもあり、釜無川流域に古くから住んでいる武士といわれている。天文年間後期から天正年間初期にかけ武田氏が東濃へ侵攻してきたのに伴い、最先端の拠点として若尾氏が築いたといわれている。
手作りの看板で、温かさを感じる城跡。
標高285m、麓から比高約100m。多治見市指定史跡で登城口に縄張図付きの説明板がある。登って下ってまた登る登城道は虎口の堀切にたどり着く。景色はナカナカ♪(^-^ゞ竪堀に堀切u0026土橋と戦国山城遺構がある♪麓の御殿屋敷跡には堀跡が残ってる。大きくはないケドしっかり遺構が残った散歩がてらに登れる山城だったよん1月2日に登ったら酔いがさめたf(^^;
堀割などが残っていました。山城跡です。
名前 |
根本城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

とても登りやすくて楽しかったです😁こんなところにって感じで非常に楽しめました😁