岡山烽火場の竹林で歴史探訪。
金刀比羅神社の特徴
竹林の中の道を登ると、荘厳な雰囲気が広がります。
関ヶ原の説明板が読みやすく、訪れる人を楽しませます。
黒田隊や竹中隊の歴史を感じる場所として知られています。
岡山烽火場目指してきたら神社発見神社に直接繋がる道もある雰囲気登り口何処なのか定かでない。
ハッとするような竹林の中の道を登って行くとある。参道は南西側の道からの階段のようだが東から入るのが気持ち良い。
関ケ原の説明板は皆読みやすくて面白く、誰が書いたのだろう?きっと頭が良い人に違いないぞと不思議に思っていました。「由緒書の記」を読んで謎が解けました関ケ原振興会さんと淺井健太郎さんにこの場を借りて御礼を申し上げまする。
黒田隊、竹中隊が布陣した丸山の中腹にあります😁関ヶ原の合戦時は東軍の生駒一正が布陣していました☺
| 名前 |
金刀比羅神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字岡山732番地の16 |
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岡山烽火場のそばに建つ神社。アプローチは林道と湖側からのハイキングコースのような路の2つがある。説明板から由来を転記\u003d\u003d\u003d\u003d\u003d\u003d\u003d慶長五年(一六〇〇年)九月十五日の関ヶ原合戦のとき、徳川軍に加わった讃岐の領主生駒一政公は、黒田長政公や竹中重門公と共に東軍の最右翼軍としてこの岡山の地に陣を構えた。このとき一政公は、捧持してきた金刀比羅宮(香川県琴平町)の祭神大物主神の御神像を松の枝にかけ戦勝を祈念した。合戦後、村人はこの御神像をもらい受け、祭祀したと伝えられる。また慶応の時代、関ヶ原の庄屋古山一八が当神社の社殿等を改築したとも伝えられる。その後、商売の神様 として関ヶ原村全体の崇敬を受け、金刀比羅講(俗称金毘羅講)が組織され、毎年十月十日、讃岐の本宮に代表者を派遣して神符を奉載していた。(現在は行われていない)また、社殿等は、大正八年(一九一九年)の遷宮により現在地に移されたとされる。