古の神々が宿る、石棒の神社。
石神社(せきじんじゃ)(神保原)の特徴
御神体は全長約1.8mの石棒で歴史を感じられます。
車椅子対応の参拝が可能で誰でも利用しやすい環境です。
新鮮な水が流れる手水と狛犬が境内で出迎えてくれます。
サイクリングの途中で一休みしました。境内も広く狛犬がなかなかいいですよ。
御神体は全長6尺(約1.8m)の石棒、昔は石神社の日本総社だったらしいとか。御神体が石棒というのは古い信仰の感じですね、環境変化や病魔の中で生きるのが精一杯だった時代を感じます。祈祷の受付電話番号の表示はありましたが、御守り授与所等はありません。
旧村社。主祭神:高皇産霊神(たかみむすび)、神皇産霊神(かみむすび)。創建:鎌倉時代相当。御由緒書きに:当地は中世の石神郷と考えられる。『風土記稿』では、烏川から引き揚げた石剣(石棒)を祀って鎮守としたことによる地名と伝える。全国の石神の総社とされ、日本総社石神大明神と称す。元弘三年(1333年)に新田義貞が上州より鎌倉に攻め上る際、戦勝を祈願し、以来この森を「勝の森」と称するようになったという。また、天正十年(1582年)に北条氏邦・氏直と滝川一益が戦った神流川合戦の際、氏直が参詣して戦勝祈願したとも伝えられる。とあります。(石神社の御神体の石棒は上里町指定文化財)境内社の富士浅間神社には富士塚が祀られています。神社と言えば鎮守の森、閑静な住宅街に、いや、道を隔てて斜め西側は神保原小学校、元気な声が聞こえてきます。いつ行っても手水が流れていて、気持ち良く参拝出来ました。令和2年、社号標に埋め込まれたセメントが除去され、「指定村社 石神社」の文字が復活。(明治維新以降に制定された近代社格制度だが、第二次世界大戦後に廃止)1946年、GHQの神道指令により神社の国家管理が廃止されると同時に、その干渉を恐れ、石の社号標の社格が刻まれた部分をセメントで埋めた神社が多かった。ここ石神社にとっては、実に70有余年ぶりの復元です。
手水に、新鮮な水が流れていて、境内もとても綺麗にされていました。お神輿なのかな。龍の彫刻が見事でした!
車椅子用の参拝が、できて便利だ。
広い敷地に社と碑があり、 狛犬が出迎えてくれます。ここ数年は上里のマラソン大会のスタート地点になってます。
旧社格不明。上里町内高崎線以北では最もきれいな神社。
名前 |
石神社(せきじんじゃ)(神保原) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0495-76-3238 |
住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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HP | |
評価 |
4.1 |
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当社は、持統天皇がアマテル大神をアマテラス女神に改変し、瀬織津姫から激しい怒りを買う前の、本来の太陽神夫婦を隠し祀っている神社。改変前の痕跡を残す神社は、明治政府の厳しい指導によって、祭神変更を余儀なくされたり、末社あるいは合祀に追いやられた。その時に、八十禍津日、神直毘神・大直毘神、高皇産霊神・神皇産霊神、伊弉諾・伊弉冉、淤加美神、龗神、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命、水神、市杵嶋姫、比咩神、弁天、不動明王などに仮託して神名を隠した神社は多い。これらの祭神が唐突に主祭神に祀られている神社は、日本の正統な神を祀っている可能性が高い。当社の宮司・神職は、兼務のために常駐できずにいるが、神様は確と坐すので、是非とも大切に参拝していただきたい。以下は境内の由緒書。「石神社 せきじんじゃ石神社の祭神は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ、神皇産霊神(かみむすひのかみ)、大己貴命 (おおなむちのみこと)、少彦名命 (すくなひこなのみこと)である。創立については不詳であるが、古くから石神村の鎮守で別当照蓮寺持であったが、明治初期に神職の受持となったという。御神体は全長六尺ほどの石棒である。一般にこのような石棒は、縄文時代中期に関東、中部地方を中心に発達した信仰物と推定されている。この石神社は昔は石神の日本惣社であったと伝えられ、旧村名石神もこの石棒から名付けられたものという。現在、奥の宮に奉安されているが、二ヶ所にひびがはいっているため鉄棒で固定されている。また、当社には、元禄十六年(一七◯三)九月の社再建のときの棟札が保存されている。現社殿は、昭和四十五年に改築されたものである。昭和六十一年三月埼玉県上里町」