関ヶ原の歴史、松平忠吉と井伊直政の足跡。
松平忠吉・井伊直政陣跡の特徴
松平忠吉と井伊直政の陣跡は歴史を感じさせます。
関ヶ原駅近くで、タイムスリップの体験が楽しめます。
戦場の位置を知ることで、合戦の緊張感を味わえます。
ここは、銀箔置白糸威具足の純白の甲冑を身に着けた「松平忠吉」と、赤鬼と恐れられた赤備えの「井伊直政」の陣跡です。2人が立ち並び、関ヶ原の戦いを先駆けたとされます。以前は東200m先にありましたが、大正時代にこの地へと移転されました。いにしえの歴史に想いを馳せることができる地です。
東首塚に隣接、後見役の井伊直政6千人兵力が家康本隊主力。家康を守護するような陣位置です。
東首塚ある朱色門の反対側から数段降りると陣跡がありました。観光案内所の看板にある福島正則コースの1箇所目になります。
徳川軍、井伊直政と松平忠吉の陣跡地です。
家康を守る最前線かな。
関ケ原駅近くにこんな場所があるなんてちょっとしたタイムスリップ妄想ONしちゃいます。
松平 忠吉(まつだいら ただよし)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将・大名。東条松平家第4代当主、尾張清洲藩主。井伊 直政(いい なおまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。井伊氏第17代または24代当主。 上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで舅の井伊直政の後見の下、初陣を飾って福島正則と先陣を争い、手傷を負うも島津豊久を討ち取るなどの功を挙げる。
戦場の位置(原文)戰場陣地。
関ヶ原の戦いの開戦を抜け駆けで仕掛けた松平の陣跡。東首塚の隣に有る。
| 名前 |
松平忠吉・井伊直政陣跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
https://www.sekigahara1600.com/spot/matsudaira-ii-jinato.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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岐阜関ヶ原古戦場記念館から歩いてすぐのところにあります。実際の場所はもう少し東側とのことですが、東山道は少し低い位置にあったであろうことから、ここはここでよいと思います。とにかく、東軍は徳川家康も福島正則も黒田長政もよく動いており、時間とともに変化する戦場の様子が見て取れる一角です。関ヶ原町全体が歴史博物館ですね。