不破の関跡で歴史散策。
不破関跡の特徴
古代東山道の関所であり、歴史的な価値が感じられます。
館長が親切に説明してくれる資料館も近くにあります。
壬申の乱の歴史が息づく、美濃国と近江国の分かれ道です。
飛鳥時代の関所の一つ2023年5月上旬、関ヶ原探訪の際に寄りました。民家の間に駒札があります。駒札によると東山道の美濃不破関は、東海道の伊勢鈴鹿関、北陸道の越前愛発関とともに、古代律令誹下の三関の一つとして、壬申の乱(672年)後に設けられたとされています。延暦8年(789年)に停廃されて後は関守が置かれ、平安時代以降は、多くの文学作品や紀行文に関跡の情景がしきりと記されてきました。とあり。また関ヶ原町歴史民俗学習館のHPを見ると西側は藤古川を利用し、三方を土塁で囲んだ約12haが関の範囲になっていた。東山道に接する形で掘立柱建物群が確認されており、この付近に多くの瓦が出土することから、関の中心施設はここに位置していたと考えられているとあり関所の面影はないですが、周辺の史跡を周ることで地理的にここに関が設けられたのは納得できました。
岐阜美濃地方の紅葉狩りで近くに来たので、ちょっと立ち寄ってみました。旧中山道沿いの実に雰囲気ある場所にひっそりと佇んでいます。直接アクセスすると専用の駐車場は在りませんので、『不破関資料館』へ行かれるか、近くの『福島正則陣跡』に駐車場があります。(アクセス道路は激狭ですが・・)すぐ前の旧中山道を西方向に向かうと、『不破関西城門跡』と、壬申の乱開戦や関ヶ原合戦で大谷吉嗣が布陣するなど戦いの要所となった『藤古川』があります。合わせて見学されると良いと思います。とても静かな場所で道も狭い所です、マナーをしっかり守りゆったり楽しんでください。
自分は岐阜県出身ですが還暦を越えて初めてこの場所を知りました(笑)。恥ずかしい限りですがきっかけはブラタモリの番組でした。この辺りを西軍の大谷吉継が最後の防衛拠点として守っていたそうです。元々は壬申の乱の頃に設置されたようで当時から要衝だつたようです。近くには不破関資料館もありました。
民家の入り口のようなところに石碑と看板が立っています。歩道がないのでゆっくり見るときは車に注意。
古代東山道の関所の一つであり、「不破の道」と呼ばれたこの地の東山道に、壬申の乱の翌年(673年)に関所として設置されました。 関所とは現代で言う検問所であり、人の往来や運搬の出入りを検査する役割を持ちますが、江戸時代ごろになると、関所での取り締まられる重要視は女性の出入り【出女】が主となり、その理由として人質として江戸に住まわせていた大名の奥方が国元に逃げ帰る事によって、幕府に対する謀反が起こらないようにする役割が大きくなった。 よって【通行手形】で本人一致しない限り出入りが禁じられていました。672年に発生した壬申の乱の際、大海人皇子(後の天武天皇)の命により美濃国の多品治によって【不破の道】が閉鎖される。673年、天武天皇の命により、都(飛鳥浄御原宮)を守る為に【不破関・鈴鹿関・愛発関】の三つの関所が設置される。この不破関近辺が壬申の乱の激戦地となっており、今でも史跡となる【自害峰の三本杉】や【黒血川】【矢尻の池】【土塁跡】【関の藤川(藤古川)】【大海人皇子兜掛石】など多数が残る。この周辺の土地『不破郡=関ケ原町・垂井町や大垣市・海津郡・揖斐川町...など)』は何かと歴史の揺れ動く、激動の地で知られる。主に『壬申の乱・承久の乱・青野ヶ原の戦い・関ケ原の合戦』で良く知られます。
関ヶ原駅から徒歩で15分ぐらいの場所に、解説書きがあります。すぐそばの資料館でかつての関所の様子を学び、坂の下にある藤古川まで行くと、なぜここに関所が立てられたのか思いを馳せることができると思います。
民家の庭と間違うかも。けど、変に箱物作るよりはいい。
古い関所跡です。今、この辺りは住宅地となっております。その昔、京都から中山道を通り、ここ不破の関に着くと、「あぁ思えば遠くへ来たもんだ...」と感じたことでしょう。それこそ古代の境ですから、旅情を誘う地です。
以前から何回も通過していた美濃不破関。ブラタモリを見て、行ってみたくなり訪問~👣。不破関資料館へ行き、ふむふむと勉強すると、壬申の乱勃発で不破道を塞ぎ、乱後、三関(伊勢鈴鹿、越前愛発、美濃不破)を定め、この関から東を関東、西を関西と呼ぶ様になったとのことでびっくり😲。
| 名前 |
不破関跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
058-272-1111 |
| HP |
http://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/17768/siseki/fuwano.html |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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残っている遺構は警備小屋と裏庭。周囲の民家も古い街並みなので、少しわかりにくいかもしれません。