歴史を感じる浄運寺の古刹。
浄運寺の特徴
神秘的な雰囲気漂う古寺で、歴史を感じます。
上州三大尽の一つ、佐羽家の墓所があります。
本堂は市の重要文化財として認定されています。
本堂改装工事中か? 月影歌ってきた! つきかげの~ だいぶ上手くなったよなむあみだぶ。
私の母親のおじいちゃんとおじさんのお墓があります。お盆と命日には必ずお墓参りをします。😊檀家です。
立派な本堂と掃き清められた境内。由緒あるお寺は清々しいです。
浄運寺は新町を開いた時に移転してきて街の要となった古刹で、上州三大尽の一つ佐羽家の墓所や、何やら三越にゆかりのある墓があるとかで本家から調査に来たこともあるとか。現在3000基の墓碣を整理中との事。佐羽淡齋、竹香や石田九野の碑は見るべきもので、観音堂脇の奕堂書「法華経供養塔」は橘守部に指示した歌人稲垣妙智の寄進。整理された碑に「木村氏母周東氏墓」があり、伊勢谷亨の撰・書、窪世昌刻であった[臥]
自分のご先祖様の墓が浄運寺にあります。りっぱなお寺です。昔から由緒あるお寺です。家から近いです。本堂が凄く綺麗です。
雰囲気のあるお寺です^ ^
葬儀に出席しました。寒かったです。
天正7年(1579年)5月の事。織田信長が権勢を誇った安土城下で、霊誉玉念という浄土宗の僧が説法を開いていた。そんな彼に法華宗の若い信徒2人が議論をふっかけて来た。玉念は貴方達に話しても理解出来ないだろうから、然るべきお坊さんを連れてきたらお答えしようと返答したが、法華宗側が乗り気になり、錚々たる面々がやって来る事になった。噂は方々へ広まって大事になり、信長の耳にも入る。信長はあまり乗り気ではなかったようだが、他宗派に属する高僧たちに審判を任せ、安土の外れの浄厳寺で配下の警備の下で宗論を行わせた。結果、浄土宗側が勝利。最初に議論を振っかけた信徒達は騒ぎを引き起こした罪から斬首、浄土宗側の玉念らは信長から扇と扇子を賜ったという。これが世に言う「安土宗論」。このお寺は玉念が天文年間(1530〜1550年代)に今の広沢町辺りに建てた庵がその起源となっているそうです。
とても、雰囲気のあるお寺。弁天様がいらっしゃいます。
| 名前 |
浄運寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0277-45-2962 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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お寺に伺うこと樹徳高校の吹奏楽の演奏が聴こえてきます。静観ななかで気持ちが和ませられるとともに若い力を頂けると感じられます。素晴らしい千手観音菩薩を拝観できます。心が洗われるお寺です。