幻想的な光と天御中主神。
金山神社の特徴
御祭神は天御中主神で、歴史的な由緒ある神社です。
境内に置かれたアラジンのランプ風の手洗い石が訪問者に人気です。
自宅から徒歩65分でアクセスできる距離感が魅力です。
神社に着いた時間帯が良かったのか、光の加減でとても幻想的な雰囲気が漂っていました。道路の下にも階段が続いてて、鳥居や狛犬などがありましたが途中で道が分からなくなっています。消えてしまいそうなほど綺麗な場所だったので、また訪れたいです。
御祭神は天御中主神です。境内末社は天具神社(奇魂神)です。天正八年(1580年)に西長尾城主長尾大隅守によって創建されたと云われていますが「古今名勝図会」には妙見社、炭所東にあり当社肇祀未詳、往古は金剛院と云う寺地なりしが退転の跡、鎮守社の残りしを村民これを奉祟して氏宮とす。その後貞享四年再興す。今この辺りを金剛院と云う…と書かれています。この妙見社が当社です。また境内からは鎌倉時代の瓦が出土しています。明治三十三年(1900年)に拝殿を新築。大正七年(1918年)に村社の指定を受ける。当社は猫山の頂上に近い標高350㍍の高所にあり213段の石段の上の社殿周りには数百本の檜の大樹が茂り荘厳さを醸し出しています。
境内にあるアラジンのランプ風の手洗いの石の形が好き!
自宅から徒歩で約65分。※「阿弥陀越」経由でお詣りしています。帰りは、林道ではなく登山道を帰っています。大体、月1のペースですが、ほとんど人とは会いません。鳥居から社までの参道横は、猪?が掘り返した跡でボコボコです。お詣りするたびに、「身が清められる。」私の最強のパワースポットです。※「阿弥陀越」とは綾歌森林公園畔田キャンプ場方面からまんのう町の金剛院に通じる「林道畔田金剛院線」の峠の名称。
金山神社(香川県神社誌 昭和13年12月発行より)祭神:天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)由緒:天正八年(1580年)長尾大隅守(県史には長尾備中守)の創建と傳ふ。古今名勝図絵に『妙見社 炭所東にあり・・・・・當社肇祀未詳往古(*!)は金剛院と云寺地なりしが退転の跡鎮守社の残りしを村民是を奉崇して氏神とす 其後貞享四年(1688年)再興(棟札あり) 今此辺りを金剛院と云』とあり。この妙見社は即ち当社なりといふ。 明治34年拝殿を建築す。大正7年10月19日 神饌幣帛料供進神社(*2)に指定せらる。氏子区域: 字金剛院 六十戸境内神社:天具神社(奇魂神)以下はご参考までに、●t時代背景:・天正元年 室町幕府滅亡・天正八年 イギリス商船平戸に来航。2年後の天正十年には本能寺の変・貞享四年 生類憐みの令(江戸時代前期、第5代将軍徳川綱吉によって制定された)(*1)「當社肇祀未詳往古(とうしゃちょうしみしょうおうこ)」とは、“昔のことで詳しくは分からないが、この神社がはじめて祀られたのは”ということでしょう。(*2)「神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)」とは、郷社・村社を対象に勅令に基づいて県知事から、祈年祭、新嘗祭、例祭に神饌幣帛料を供進された神社。(金山神社は村社に指定されていたが、第二次世界大戦後にGHQにより廃止)●「金山神社」は林道畔田金剛院線の「阿弥陀越え」すぐ手前・左手にあるコンクリ段(約120段)を登り切ったところに鎮座しているが、面白いのは道路を挟んだ反対側にも谷川に向かって下りのコンクリ段があり、その先には第一の鳥居や狛犬が坐っている。が、そこから先はもう原野化して通れない。念のため、国土地理院地図で確認してみると、少し途切れているが、昔日は金剛寺前に繋がる村道が在ったようです。標柱や石灯篭に刻まれた建立年は明治初期のものが多いことからは想像ですが、神仏分離令の発布があった明治の初期までは「天御中主神」は金剛寺(院)に祀られる仏の権現さんだったのではないのかと・・・。
名前 |
金山神社 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
〒766-0016 香川県仲多度郡まんのう町字奥佐古1800番地 |
HP |
https://kagawakenjinjacho.or.jp/shrine/%E9%87%91%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE-2/ |
評価 |
4.6 |
周辺のオススメ

しめ縄が新しく取り替えられていて管理されているみたいです。ありがたいです。今回は階段上に登るだけでしたが次回は降ってみたいです。