静御前の塔で心を浄化。
法華宗 養行寺の特徴
前橋藩初代藩主・酒井重忠が建立した歴史ある寺院です。
境内には静御前の供養塔があり、源義経にゆかりの場所です。
ヨガ教室やクリスタル・ボールなど多彩なイベントを開催しています。
ここのお寺では、色んなイベントを開催していて、ヨガ教室やクリスタル・ボールを体験出来ます!
群馬県前橋市三河町、上毛電気鉄道上毛線/中央前橋駅出口から徒歩8分位にある「法華宗 養行寺」さんへ参拝しました。13時40分過ぎに参拝で他の参拝者はいませんでしたのでゆっくり参拝する事ができました。「世久山 養行寺」「宗派」 法華宗陣門流「御本尊」 三宝尊「御由緒」三河の国西尾の城主酒井正親の妻、世久院雪姫の発願に依り゙、大乗院日老聖人を゙開山として天正3年(1575年)に創建された。雪姫は徳川家康の重臣、石川清兼の息女である。雪姫の2男重忠は天正18年(1590年)川城城主となり、次いで酒井家前橋藩の初代藩主としてい移封されたのは慶長6年(1601年)で当時も重忠と共に移り厩橋(前橋)城内本丸近くに寺域を与えられた。その後利根川の洪水により流失、崩壊したため、現在の地に寺域を与えられ今に及んでいる。※善行寺御由緒を簡略「鬼子母神堂」雪姫が領内の子供の安全を祈願するため健立されたと伝えられています。「静御前の塔」静御前は源義経の愛妾で、捕らえられて鎌倉に送られた際、鶴岡八幡宮で白拍子を舞義経を想う唄を歌ったため源頼朝を激怒された。その後奥州にいるという義経を慕って厩橋(前橋)の地に辿り着いたけれど病を得てこの地で亡くなったとされている※静御前については数々の諸説がある。「感想」立派な山門前には社号寺や御題目の彫られた石柱と所縁を記す石柱が3柱あり、山門を潜り境内に入ると右側には静御前の供養塔や水子供養鬼子母神の石仏があり、その奥には古びた稲荷堂らしき物があります。正面本堂、左側には鬼子母神堂があります。境内中央付近に立派な木がありその周辺に駐車スペースがあります。善行寺の始まりに携わった世久院雪姫や源義経の愛妾だったとされる静御前など興味深い歴史上の人物について知ることができました。ありがとうございました。
今日は一周忌で伺っています。寺内は広く、勤行の声が響いていました。
応対が丁寧で綺麗な声のお経でした。
世久山大乘院養行寺。群馬県前橋市三河町。法華宗。本尊は三宝尊。元は前橋城内にあった。静御前の塔があるがお墓ではないとのこと。何も言わなくても御首題を頂けた。こちらの寺院の由緒は、次の通り(由緒書きによると)。「当山は、天正三年(1575)に三河の国(愛知県)西尾の城主酒井正親の妻雪姫の発願に依り、大乘院(依正院ともいう)日耆聖人(東京本妙寺二祖)を御開山として創建された。ご開基・雪姫の法号『世久院殿妙養日清大姉』と、ご開山聖人の法号から、(世久山大乘院養行寺)と称してきた。雪姫は、酒井家と同じように徳川家康の重臣・石川安芸守清兼の息女である。石川家は代々法華経を深く信仰し、雪姫が正親に嫁すときも、お持(たもち)曼陀羅を携えて入奥されたという。正親・雪姫の二男重忠は、天正十八年(1590)川越城主となり、酒井家前橋藩主の初代として移封されたのは慶長六年(1601)でした。当山も重忠と共に前橋城内に移った。当山の移り住んだ近くに小高い山があり、その頂上に静御前の塔が悲劇の伝説と共に建っていた。当山境内に残る黒い多重塔である。この山は、やがて城主重忠の霊夢に『天神様』が出現したことから天神山と言われるようになった。以来この天族は当山に安置されて、鬼子母神様と共に悩める人の願いを叶えてきた。」
境内には、鬼子母神堂、静御前の塔があります。
このお寺は、源義経の愛妾であった静御前の供養塔があることで知られています。義経が奥州へ逃れた後、静は捕らえられて鎌倉に送られ、頼朝によって処刑されようとしますが、夫人の北条政子の懇願で助命されたといいます。その後の静の消息は途絶えていますが、言い伝えによれば…義経を追って、利根川のほとりまで辿り着いた静は、そこで病を得て亡くなりました。このお寺も、以前は利根川畔にあったので、こちらに移転した際、静の供養塔も移したのだということです。
名前 |
法華宗 養行寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
027-224-3734 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
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前橋藩初代藩主の酒井重忠が、母と亡き父の供養のために建立しました。西高浜曲輪にありましたが、城拡張と利根川の浸食により現在の地に移りました。境内には重忠の母「雪姫」が崇拝したという「鬼子母神」が祭られており、子育て、子宝、安産の御利益があると言われています。この他、境内には前橋に二つある「静御前」の墓のひとつ、厩橋城から移築された静御前の塔があります。