藩政期の歴史、佐々部氏の神社。
名前 |
菅原神社(嘉万天満宮) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-yamaguti/jsearch3yamaguti.php?jinjya=25925 |
評価 |
3.2 |
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当神社は、藩政期の寛永年間に、大組格の佐々部氏が、嘉万、別府に知行地をもらってから勧請創建されました。具体的な創建年代は分かりませんが、恐らく、寛永6年(1629年)頃と考えられています。菅原神社の紋は、普通「梅鉢」を用いますが、当神社の紋は、佐々部氏の家紋である「鶴菱」を用いています。何故、道真公を氏神としたのかについては、佐々部氏の家祖である高階氏が、文を以って朝廷に仕えたことに由来するようです。創建から明治初年の家禄廃止まで「佐々部天神」と呼ばれ、領内の繁栄豊作を願って祀られ続けてきましたが、家禄廃止で、山林6反を付け、現在地に委譲され、今日に至るとされます(『嘉万堅田門前天満宮縁起』より)なお、佐々部氏について簡単に説明しますと、現在の広島県安芸高田市の佐々部というところを領有した豪族で、戦国期に、毛利氏の家臣となってからは、宍戸氏の部将として、備後高杉城攻略など数々の武功を挙げています。関ケ原以降も家臣として明治維新まで仕えています。