皇子にまつわる縁切り榎。
縁切り榎とわかれ橋(中里橋)の特徴
後醍醐天皇の皇子護良親王にまつわる史跡が歴史を感じさせます。
約680年前の南北朝時代の伝説が息づく場所です。
古い榎は神通力を感じる神秘的な存在です。
後醍醐天皇の皇子護良親王を奥州石巻(宮城県)に落ちのびさせるため、淵辺義博主従が妻子と榎の下で縁を切ったと事から「縁切り榎」といわれ、現在でも榎があります、また、直ぐ近くに流れる境川にかかる、中里橋は、護良親王を奥州石巻(宮城県)に落ちのびさせるため、淵辺義博主従が妻子や村人境川の橋(中里橋)の上で別れを告げて旅立ったといわれこの橋「わかれ橋と呼ぶようになったみたいです!
約680年前の南北朝時代の伝説を地元の方々が大切にされておられます。
鎌倉市にも昔々の皇子を幽閉した洞窟がありその話を思い起こす悲しくも人の律儀な忠義心の史跡でした。感銘しました。
勉強になりました(*^ー^)ノ♪
こんな所になんと、という感じ。護良親王ゆかりの木とは。
とても古い榎です。話に出てくる中里橋は隣にあります。
神通力強そう。納められたゴッソリした絵馬が物語っている。個人名が書かれていて、縁が切れたとのこと等。普段は無人で絵馬の販売は日にちが決められているもよう。榎のある仲宿商店街も古きよき時代を思わせる。
名前 |
縁切り榎とわかれ橋(中里橋) |
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ジャンル |
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住所 |
〒252-0203 神奈川県相模原市中央区東淵野辺2丁目30 |
評価 |
3.7 |
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