赤穂義士の首洗い井戸。
首洗い井戸の特徴
赤穂浪士が吉良上野介の首を洗った歴史的な井戸です。
首洗い井戸は義士たちの本懐を成就した場所として有名です。
この井戸は現在もその歴史をしっかりと伝えています。
この井戸は、現在使われていないようです。
吉良上野介の首を吉良邸ねはねて、その場で首を清めましたが、泉岳寺までの道中3時間ほどで再び血が滴っていたので、再度ここで綺麗にして主君の墓前に供えました。当時のまま残っています。
忠臣蔵で有名な赤穂浪士が主君(浅野内匠頭)の敵である吉良上野介の首級をあげて、首級を墓前に供え、敵討ちの本懐を報告するために首を洗ったのがこの井戸になります。現在は金網で覆われており、中は良く見えない状態ですが、大事に保存されています。当初、1891年(明治24年)、『オッペケペー節』で有名な川上音二郎が1891(明治24)年に赤穂義士の墓が荒れ果てているのを見て、貧者救済の名目で寄付をした際に寺が首洗いの井戸を整備したからと言われています。また、井戸の後方に当初は川上音ニ郎の墓が建っていたそうであるが、現在は別の場所(岐阜県各務原市)に移されています。
井戸は金網で蓋をしてありますが、当時の面影を残しています。
■首洗い井戸東京都港区高輪にある井戸。高輪泉岳寺の浅野長矩公之墓の近くにある井戸。●吉良上野介の首を洗ったとされる井戸。仇討ちの本懐を遂げて、内匠頭の墓前で報告する前に首を洗い浄めた。井戸の前には玉垣が封建されている。玉垣には芳名「川上音二郎」の名が記されてある。
主に報告するため、というクライマックスな場所ですがここで生首が洗われたのかと思うと恐いものがあります。
義士達が、この井戸で吉良上野介殿の首級を洗ったそうです。この左側にある主君の墓前に備えて報告するために。落ちている赤い落ち葉が、まるで血のように見えました。井戸に滴った血のように。
赤穂浪士に討ち取られた吉良上野介の首を洗ったとされる井戸。金網があり、あまりよく見れない。
義士が本懐成就後、吉良上野介の首をこの井戸水で洗い主君の墓前に供え報告したところから「首洗い井戸」と呼ばれているそうです。
| 名前 |
首洗い井戸 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
03-3441-5560 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 9:00~17:00 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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首を洗ったと言われる井戸。本当かな?